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髪をかき上げる人

私だけに与えられているものを、どう使っていくかということ。

先日、ご縁結びヒーリングを受けに来られた方と、ご自分の長所についてお話をさせていただきました。

「この世に生まれてくる一人ひとりは、なにか新しいもの、
 独自なものを持っている。
 彼は自分と同じ存在がこの世にないことを知らねばならない」
 (マルチン・ブーバー)

という言葉があります。

私たち一人ひとりはオンリーワンの存在であると言われます。

その通りだと私も思います。

私という人間はこの世界にたった一人しかいないのですから、大切に生きてみる方が充実を感じられる。

自分が生きている意味を感じられるようになると思うのです。
誰かと比べれば、劣っているところはあるかもしれません。

そこに目を向ければ、足りないものはいっぱい見つかります。

あの人みたいになりたいと思うことはたくさんあるかもしれませんが、その人に近づくことはできても、その人になることはできないのです。

逆に、その人も私になることはできないのです。

この世界では、誰もが私が私として在るのですから、私を生きればいいのです。

綺麗な夕焼けの風景

自分の独自性を信じることができないのなら、使命というものを自分の人生にあてはめてみるのもいいかもしれません。

使命という字は「生命を使う」と書きます。

だから、私たちは自分のために、人のために、世の中のために生きている。

生まれたからには生きる理由がそこにある。

誰の役にも立てなくても、迷惑しかかけていなくても、いつか自分自身に対して、この世界でたった一人しかいない自分について自覚する機会がやってくるのです。

その時に、みんなと違っていてもいい自分を確信できるから、他者も自分と違っていてもいいということも理解できるのです。

「他人より優れようと思うな。他人と違った人になれ」
 (ユダヤのことわざ)

という言葉があります。

たくさんの人がいるなかで、優れた存在でいたいとか認められたいという想いは誰にでもあります。

でも、それが認められない時、周りの人が輝いて見えたり、自分が劣っていると思ったりするのです。

人と違っているということは、何かの基準で比べれば、劣っていることかもしれませんが、

誰もが同じではないという考え方で見れば、優越では測れなくなるのです。

山頂に上った人

「今日も、生涯の一日なり」
 (福沢諭吉)

という言葉があります。

もし、比較をするべきものがあるとするなら、それは他者ではなくて、今ここまでの自分とです。

自分の本当になりたい姿に、昨日よりも今日はまた一歩近づいているか。

停滞していないか、後退していないか。

それは、心に今どのような想いがあるかということもそうですし、

今日一日、私は言いたいことを言って、したいと思ったことを行動に移したか。

自分の心に見てみぬふりをしなかったかということです。

どのような環境で生活していても、その姿勢が自分の中心にあればブレることはないと思うのです。

その時にはもう、他者の価値観をものさしにしていませんから。

朝焼けの空を見る人

たしかに、他者の存在は自分を写す鏡のような時もあります。

そして、その人を目標にして自分が高められていくこともありますから、そういう気持ちを持って取り組むことは大切です。

でも、他者の価値観を自分の判断基準にして自分軸を見失うのは違うのです。

私はあの人ではありませんし、あの人も私ではないのです。

人間一人ひとりに、最初から備わっているような長所のようなものが必ずあります。

それは私たち一人ひとりに与えられているものかもしれません。

大切なことは、それが自分の中にすでにあることに気づくことです。

いろんな経験を通して気づくこともあります。

それは目立つことかもしれませんし、目立たないことかもしれません。

でも、この一生のなかで、それをどれだけ生かすことができるかだと思うのです。

私の持っているものをどう使って、この世界にポジティブを与えていったか、周りの人に喜びを与えたか。

自分にためだけではなく、自分にも他者にも光を与えるような生き方であったか。

私の持っているもの、それを使って何をしたか。

神様が最期に問われるのは、きっとそこなのでしょう。

「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画は
 わたしが知っている。
 それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、
 あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」
 (旧約聖書 エレミヤ書‬ ‭29章11節)

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