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休憩をする登山者

良いことも悪いことも受け取る、前向きな姿勢

先日にお会いした、うつ・心の病・不登校の方向けのヒーリングを受けられた方と、「困難に出遭った時の姿勢」についてお話しをさせていただきました。

どんなに強い信仰心を持っている人でも、どんなに神様や高次元の存在を信じている人でも、「なぜ私がこんな目にあうんだ」というような出来事に出遭う時があります。

その時、今まで自分が信じてきた存在からなにか見捨てられたような、知らず知らずのうちに自分がおかした過ちのばちを受けているような気持ちになったりして、自分を疑うことをしてしまうこともあります。

でも、困難やつまづきを目の前にするたびに「神様や天国なんてないのかもしれない」と思うことは、とても短絡的だと思うんです。

夜空を見上げる人

まずは、感情でものごとを見ることをストップしてください。

そして、
「なぜ、今このタイミングでこの出来事が起きるのか?」
「なぜ、私にこの出来事が起きるのか?」

を静かに考えてみてください。

理性でものごとを見ることができるようになりますから。

そうすれば、だんだんいろんな視点でその出来事を解釈できるようになります。

ひょっとしたら、自分だけの都合のいいようになることを「自分の正義」にして、良いか悪いかを判断していたかもしれません。

私たちは、そのような形の自分の正義にまかせて何かをする時もありますから。

でも、そのような考えで行動をした後は、反省をする機会も与えられるもの。

この世界は「正義」と「悪」が対立しているのではなくて、自分の「正義」と誰かの「正義」があるだけなんです。

そのことが分かれば、自分以外の誰かから教えてもらうことがたくさんあるはず。

目を向けたくないと思っていることの中に、あなたが求めていた答えのようなものがあったりもするのです。

(困難の中に光を見つけること、そして乗り超えていくことについて、以前にもこちらの「試練を乗り越える力」の中でお話しをさせていただきましたね)。

夕日に照らされる人

「泥多ければ仏大なり」(禅語)

という言葉があります。

「煩悩が多ければ多いほど、悩むことが多ければ多いほど、それらが消えた時には大きな悟りを感じることができる」
という意味の言葉です。

思えば、今まで生きてきた中で出会った苦しみや悩みが私の人間性を創ってくれて、広い視野で深く理解しようとすることをさせてくれるようになりました。

誰かの苦しみや悩みに寄り添うやさしさも与えてくれました。

新しい価値観と、情熱を向けるべき方向も与えてくれました。

物質的なものから、輝きを失うことのないような本質的なものの価値を見ようとすることも教えてもらいました。

私たちはそうやって、困難を超えていくことで自分の魂を成長させていくのかもしれませんね。

偶然に出会うどんなことも、神様のような存在の方が今の私に必要なものを与えてくださっていると思えば、

私に起こってくることはすべて、良いと思うことも悪いと思うことも受け取っていく姿勢でいたいんです。

良いこともいただいたから、悪いこともいただいてみようと思うんです。

きっとそれは、今の私のために必要なものだと思いますから。

「主は言われる、
 わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
 それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、
 あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」
 (旧約聖書 エレミヤ書 29章11節)

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