好きと嫌いという感覚
「好き」で選ぶ、自分らしい人生
古代ギリシャ時代のヘレニズム哲学の一派であるストア派では、「一個人の内面の在り方と、その外側で起こる出来事は別々の問題である」と説かれました。
そうとらえれば、目の前の現実がどうあっても、自分の心の在り方に意識を向けられるようになるのでしょう。
そして、目の前の現実がどうあっても、自分の反応をコントロールすることも、一時的な感情による安易な選択を避けることもできるのではないかと思います。
私は、ヒーリング・除霊のセッションの中で、「思考」と「感覚」という対比を使って、
見える世界と見えない世界や、現実を建設的に行きていく力とエネルギーの力を説明しています。
それは、私たちが普段の生活で何気なく決断をする時の判断基準にも当てはめることができます。
これは私にとって、ありか、なしか。
良いのか、悪いのか。
楽しいのか、楽しくないのか。
私たちは、いろんな「ものさし」の判断基準を持っています。
その中で、過去の経験から導き出される判断や、これからの未来を予想して、少しでも今より良い方へ進むための決断は「思考」を使ってされています。
それに対して、「感覚」は私の中の好きと嫌いによって大きく判断されるものです。
自分の好きと嫌いで選択をするのは、とても危ういイメージがあると思います。
でも、あなたが会いたい人を判断する時は直感的で、生理的であって、そこに計算や損得が入っていないこともあるはずです。
その時の理由は、はっきりと説明はできないものです。
ただ、なんとなくという言葉で説明がつくものですから。
そこに、人間ひとり一人のその人らしさが表れるような気がします。
きっと、好きと嫌いを意識することは、自分らしく在ることであって、自分の気持に素直になることですから。
たしかに、自分らしくありたいと思っていても、周りからのいろいろなプレッシャーがあります。
こうあるべきだとか、こう在ってほしいとか、自分の気持ちに素直に向き合うには厳しい現実がやってくることもあります。
でも、その中で進むべき道を示してくれるのが「好き」という感覚なのです。
一度、その方向に心が向けば、「こう在りたい」という自分の姿も見えてくる。
自分の目指す所も見えてくる。
それに向かってどんどん近づくこともできるのです。
自分次第で自分の思い通りにできることが、本当の自分のもの。
好きと嫌い。
それで選ぶことも大切ですから。
「夢があったら守りぬけ。
そんなことできっこないという連中もいるだろう。
でも、自分にできないからそう言ってるだけなんだ。
やりたいことがあったら、やればいい。
それだけのことだよ」
(映画「幸せのちから」より)
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