人間の本当の財産
人間の本当の財産とは、目に見えないもの
サロンでのセッションや、イベントでお会いする方とお話しをする時間が、私にとって、とても大切な時間です。
コミュニケーションとは、お互いのそれまでの人生を、生き方を見せ合うということ。
つまり、ただの出来事を話すという意味ではない、自分がこれまで生きてきたなかで集めた、「価値観」「感受性」を見せ合うことです。
その時、批判や比較、ジャッジをするのではなく、受け入れることで、学びと心の豊かさがもたらされるはずです。
「世とは人を申すなり」(慈円)という言葉があります。
人がこの世をつくっているのだから、世の中とは人間である。
だから、人々は助け合いながら仲良く暮らし、世の中を育んでいくことが、人間に与えられた使命である、という意味の言葉です。
私が、今日の終わりに、お会いした方との会話を思い出して、幸せな気持ちになれるのは、ただコミュニケーション欲を満たしたからではありません。
それは、私という人間をわかってもらおうとして、素の言葉で話して、私と話してくださった方々も同じだと分かって、笑ったり泣いたりして、「他人」と「自分」という垣根がなくなった時間を共有できたからだと思います。
このような気持ちになれる事や、人との出会いが、今の私には財産のように思えます。
目に見える所ではなく、目に見えない所に積んでいくのが、人間の本当の財産だと思えるのです。
もし、会話のなかで、あなたが目の前の人に偏見やジャッジの気持ちを抱いてしまった時、あなたのひざの上で握っている手を開いて、手のひらをそっと相手に向けてみてください。
不思議と、心を開いていくことができるはずです。
それが「手の内を見せる」ということで体感できる、「共感する」という感覚です。
大切なことは、doing(何を成すか)ではなく、being(どう在るか)です。
特別なこと、偉大なことを成すのは素晴らしいことですが、大切なことは日常生活のなかにあります。
いろいろと思い悩まずに、普段の生活の一つ一つを丁寧に行って、何ものにもとらわれないようにすること。
どのような時も、心は清く明るく正しく在る、ということ。
そのことがいつも自分の軸にあれば、人への「慈愛」と、自分への「自愛」も難しいことではなくなります。
自分を愛することができた時に、人を本当に愛することができるように、人を幸せにする時に、自分も幸せになっているのが、人間です。
だから、幸せを分かち合うこと。
幸せを人まかせにしないこと。
幸せは、人に分ければ分けるほど大きくなるものなのですから。
今日、お会いした皆さん、ありがとうございました。
また、お会いしましょう。
「あなた方は自分の為に、地上に宝をたくわえてはならない。虫も食わず、錆びつかず、盗まれる事のない天に、宝をたくわえなさい。」
(マタイによる福音書6章19節)
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