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美しい朝日

「昨日までの私」と「今日からの私」は、違うということ。

寒い季節になると、空気が澄むのか、夜明けに綺麗な景色に出会うことが多いです。

昔、毎朝、近くの高良山に登って、日の出を見て出勤をしていた時に、山頂で日の出の写真を撮られている方とよくお会いしました。

同じ景色を毎朝撮られていることが、当時の私には不思議でしたが、「毎朝、違う太陽が昇ってくるから撮ってるんだよ」と言われていたことを覚えています。

煌々と輝く太陽が昇るのを見ていると、この世のすべてが浄化されて再生されるような、昨日までの事はリセットされて、また新たな一日が始まるイメージです。

昨日までの「私」は、どうだっただろうか。
今日からの「私」は、どうしたいのだろうか。

今日も、いっぱいチャレンジしたりつまづいたり、楽しんだり悲しんだり、満たされたり悩んだりする予定です。

正解も答えもない人生のなかで行われる、すべての行いは自己形成だからです。

そして、今日の終わりにその全てを許容して落とし込みます。

明日には引きずりません。
明日は、また新しい一日が始まります。

周りの世界に自分を合わせるのか。
自分に合わせて、周りの世界を調整していくのか。

この世界で起きている、あらゆる事柄・人・物には孤立している要素は一つもありません。
どんなに小さなことでも全体をになっています。
「自分」も「他人」も、すべてが瞬間ごとに変化していながら、すべてがつながっているのです。

そして、全ての言動や出来事に、「正しい」「間違い」「正義」「悪」もありません。
今までの人生で集めた偏見が、ひとり一人の常識として、価値観のフィルターになっているからです。
正しい・間違いという思いは、自分の限界や人との境界を作り出すので、自然ではないことなのです。

いろんな方に、その人なりの正義があって、事情や考えもありますが、どっちでもいいと思えた時、そのことを人に言えた時、線引きをやめた時に、自分もあなたの周りにいる人も、もっと楽になれるはずです。

そうすれば、「正しいこと」「お得なこと」にも執着をする必要はなくなります。

人生にはコントロールできるものと、できないものがあります。
人間がコントロールできるのは、過去でもなく、未来でもなく、目の前のことだけです。

そして、事実は、「価値観」と言うフィルターで自分でコントロールできるから、事実は必ずしも「真実」ではないのです。

その時、自分がコントロールできないものを悪いことととらえないこと。

自分の思うがままに変化できる世界だから、自分の決断にはイニシアティブ(主導権)を持って、その時、その瞬間を大切に生きること。

そして、振り返る時は、いつも感謝で。

この文章を読んでくださった、すべての方が、「自分が主人公の自分の人生」を創って、歩まれていかれることを祈っています。

「私には全ての事が許されている。しかし、私は何事にも支配されない」
(コリントの信徒への手紙6章12節)

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