希望という力
希望を信じること、自分を信じること
先日、うつ・こころの病、不登校の方向けのヒーリングを受けに来ていただいた方と、「希望を持つこと」についてお話をさせていただきました。
今まで歩んできた人生を振り返る時、誰の人生にも同じように、試練のようなつらい経験がいくつもあると思います。
これからも途中で何が起こるかわからない人生のなかで、どんな困難な状況にあっても、それを乗り越える力を私たちは持っています。
それが「希望」なのです。
希望とは、誰でも自分の中に見ることができるもの。
でも、いつでも見れるものではないのです。
それは、すべてがうまくいっている時や、これからの展開をつかんでいるときには気がつきにくいもので、
うまくいかない時やこれからどうなるのか分からない時に、はっきりと見ることができるものなのです。
希望とは絶望のなかでこそ見ることができる、私たちをこれから明るい方へ導いてくれる一筋の光のようなものなのでしょう。
ギリシャ神話のパンドラの箱を開けた時に、中から出てきたあらゆる悪や不幸を打ち消すために、箱の底から最後に出てきたものが希望であったようにです。
(希望を見ることについて、以前にもこちらの「希望の生み方」の中でお話をさせていただきましたね)。

「行きづまりは展開の一歩である」
(吉川英治)
という言葉があります。
希望を持つと目標が見えてきます。
こうなりたいという目標が心にある時は、今日もがんばろうという気持ちが自然にわいてくるものです。
逆に元気がなかったり、やる気が出ないのは、これから進みたい方向がまだはっきりしていないからです。
だから、自分の心にたずねてみてください。
「私は今から何がやりたいのだろう?」
それは、努力して自分を磨き続けるような修身論的なものではなくて、どのようなことでもいいのです。
お仕事でも、趣味でも、なんでもいいのです。
だから、誰にもその答えは出せるはず。
その答えを探している時に、あなたの心のなかで「楽しみ」が大きくなってきます。
周りの人にはわかってもらえないことであっても、これから目指す方向が定まるとワクワクするもの。
そのワクワクをやり抜いた時の歓びが、私たちには必要なのだろうと思うのです。
小さなことを達成することや、小さな歓びの積み重ねが希望を目に見える形にしていきます。
そのたびに、あなたは自分を豊かにしていきますから。

「明日に延ばしていいのは、
やり残して死んでもかまわないことだけだ」
(パブロ・ピカソ)
という言葉があります。
この世界のすべてのものに「始まり」と「終わり」があります。
それは私たちも同じで、その終わりはいつどのようにして現れるのかはわかりません。
それが「命」というものなのかもしれません。
だからこそ、私はその生命をめいっぱいに使ってみたいと思う。
私の望むものも、望まないものも、すべてを受け取りながら生きてみたいと思うのです。
希望というものは、耐える心でもあるのかもしれません。
今の状況は苦しくても、いつか光が射すことを信じる心は、どのようなつらいことや苦しいことも乗り越える経験をさせてくれましたから。
そのような経験が私たちの心を強くしてくれて、明日を信じて今日をすごすこともできるのです。
困難に出会う時は、希望を信じること。
そして、希望を持っている自分を信じること。
そこから、また新しい道が見えるはずですから。
「小さなことが小さなことでない。
大きなことが大きなことでない。
それは、心一つだ」
(有島武郎)
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