「笑顔の力」と「持たない生き方」
先日、外出先で素敵な標語を見つけました。
「君の笑顔 心のそこから あたたかい」
仏教では、「何かを施す」ということを「布施」といいます。
そして、「和顔施(わがんせ)」とは、笑顔による施しのことをいうそうです。
笑顔は、心のなかにある、目には見えない優しさを、見える形にして伝えることができます。
側で笑ってくれる人がいるだけで、「大丈夫だよ」「元気だして」と言われているようで、心があたたかくなります。
行動や言葉がなくても、笑顔で伝えられるものがきっとあるのです。
私たちはさまざまなものを持っています。
お金、家、土地、肩書き、地位、名誉。
それらすべてを捨てて残るものは、感性、能力、意欲。
仕事の忙しさ、世間的つきあい、肩書きや立場、といったものがなくなった時、その人自身が実際にどういう人間であるか、わかるのです。
人間は、たくさん持つようになると悩んでしまうので、何もなくなっても、かえって豊かになったような気がするものです。
今の世の中では、利益や立場を手に入れることは大切なことなのかもしれません。
でも、その果てに虚しさを感じたときに、思い出してもらいたいのは慈悲の心です。
それは、きっとあなたの人生で大きな変化をもたらしてくれるはずです。
「欲を離れた、心のやすらぎ」
それは、特別なものの中にあるのではなく、日常生活のなかにあるので、その日常をしっかりやりきることが本質なのです。
それこそが、自分がこれから大事にしていくべきところではないでしょうか。
心にもともと在る優しさは、成長して大人になっても、なくなることはありません。
追われたり、縛られている生活の中で、そのことを忘れているだけです。
欲を満たすことが幸福ではなく、不満がないこと、充実感が味わえること、生きる苦しみに終止符を打つことこそが幸福なのです。
苦しみから苦しみへ、ただ移り変わっていくだけの人生はやめにしましょう。
過去と他人は変えることはできません。
でも、自分が自分を変えるということは、自分の決心ひとつでできることです。
自分がこうしますと決心さえすれば、変えていくことができるのです。
私には、与えた、という感覚。
その人には、受け取った、という感覚。
どちらも何も失わずに、喜びとなるもの。
成長して大人になって、いつの間にか失ってしまったもの。
それを取り戻すことができれば、人間はもう少しあたたかい存在になれるはずです。
人との出会いや関わりのなかで、凍りついた心を溶かすような、喜びの分かち合い、心を開いていく自分の身の置き方が、笑顔という行いで気づかされたように思えた、ある日の外出中でした。
「他人に対しても自分に対しても親切であること。
人の生きるのを助け、自分自身の生きるのを助けること。
これこそ真の思いやりである」(E・アラン)
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