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語り合う友人達

私は、SNSでいろんな方々と交流させていただいています。

人を輝かせる、とても素晴らしい活動をされている方や、目立たなくても日常の視点がとても美しい投稿をされている方。

いろんな方々に、私のまだ知らない世界・価値観を日々、教えていただいています。

そのような、以前からSNSでお友達になっていた方が、先日、遊びに来てくれました。

「初対面の方と会話を楽しむには、誤解を恐れないこと」という言葉がありますが、この言葉をいい意味で否定していただきました。

とても充実したひと時を、すごさせていただきました。
また遊びに来てくださいね。

「人と人の間と書いて、人間」となるように、人間関係は、「自分」と「自分」の関係です。

そして、実際にお会いすることで、自分の思い込みではない、その方の輝きを感じることができます。

そのためには、できるかぎり、自分の心を開いて、相手をあるがままに、目に映る姿、雰囲気を見て感じとること。

人とのつながりを感じながら、人に合わせるばかりではなく、自分が決めて、自分で意味づけをすることで、行いが運命を生んでいくのです。

人との交流をくり返すなかで、変わらない「私」などはありません。

私たちの生命を形づくっている細胞が常に分裂と再生をくり返して、肉体が一瞬たりとも同じではないように、「これが私です」という不変的な自分もないのです。

自我というものも常に変化をしていきます。

執着することなく、私という人間を理解してもらうための、目の前の方を少しでも理解するためのコミュニケーションをしていくこと。

「自分のことしか考えない人は、
 苦しみのうちに人生を終えます。
 他人のことしか面倒を見ない人は、
 考えなくても自分の面倒も見ています」(ダライ・ラマ14世)
という言葉があります。

自分の命も周りの人の命も、人間である以上、誰もが同じであるように、誰もが目の前の方と同じ状況になるという現実を認識して、一人ひとりが、少しでも周りの人の声に耳を傾けられるゆとり、目を向けられる優しさが生まれたら、と思います。

そうすれば、他人に対しても自分に対しても、一人の人間として見ることができて、その人の美醜とか過去のことなどをいっさい気にせずに、今の状態のその人だけを見るようになれるのではないでしょうか。

人間は、勝ったり負けたりで決まるのではありません。

自分との関係性や利害を無視して相手を人間としてだけ見ること。

損得の心になっていないか。
日常から感じてみることです。

この世界は、混沌でもあり、調和でもあり、苦しみと喜びが入り混じっている場所。

でも、そこが私たちの生きる場所。

「人と人とのあいだを
 美しくみよう
 わたしと人とのあいだをうつくしくみよう
 疲れてはならない」
 (八木重吉)

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