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夕日を眺める人

すべては私という人間を新しく創ってくれるもの

先日、占い・ヒーリング・除霊のセッションを受けにきてくださった方と、「私に起こることは、私のためのもの」ということについてお話をさせていただきました。

私たちがまだ幼かった頃を思い出すと、今よりももう少し、ものごとをいい加減に考えることができていた気がします。

それは、無責任とか自分のことだけしか見ていないという意味だけのことだけではなくて、

どんなことも在るようにして在るという「中庸」の見方を教えてくれたものでもあって、

どんな出来事も一度受け取ってみようという姿勢を教えてくれたものだった気がします。

あいまいな存在の私たちは、はっきりと表されているものを求めます。

たとえば、それは正義もそう。

目にするものを自分にとっての正義と悪に分けることで、どこかで安心したいと思う気持ちが心の奥にあると思うんです。

でも、その正義が望まない運命を持ってくることもあって、その時に私たちは自分の正義も自分自身のことも疑うことをしてしまうのでしょう。

遠くの街を見る人

「神がお造りになったものはすべて良いのであり、感謝して受け取るならば、
 何一つ捨てるものはないからです」
 (新約聖書 テモテへの手紙一 4章4節)

という言葉があります。

私に起こってくる出来事や出会いはすべて、今の私のためにこのタイミングで現れてくるものだと言われます。

でも、今、目の前に表れている嫌なことや避けたいと思うこと、私に非利益を与えてこようとしているものに対して、何も思わずにそのまま受け入れることは難しいもの。

それが私にとっての本当に「善いもの」かどうかは、いつも後でふり返る時に分かるものですから。

だから、今はまだわからなくてもいいんです。

あなたの運命の中には、利益になることも不利益になることも、喜びを感じる時も、苦しみに耐える時も含まれていて、

それがすべて、あなたという人間を創ってくれるためにあるのですから。

(どのようなことも私にとっての善いことになるということについて、以前にもこちらの「生きる理由と生きる意味」のなかでお話しをさせていただきましたね)

話をする友達たち

私たちには、みんなそれぞれに役割りのようなものがあるのかもしれません。

優しい人もいれば、強い人もいて、

弱い人もいれば、活発な人もいるように。

それは、遺伝的に最初から持っているものもあれば、いろんな経験をしながら身につけていく後天的なものもあります。

そのどちらも、私に「与えられたもの」だと思ってみてください。

自分の内側に持っているものを使いこなそうとする気持ちがあれば、どのような運命も自分で変えていくことが出来るはず。

どんなことも私の善いものになるはず。

感謝して受け取っていいものになるはずなんです。

あなたの人生には、本当は何一つ捨てるものはないのですから。

「人生は生きることが大事なのです。
 いつも好奇心を持ち続けることです。
 どんな理由があっても決して人生に背を向けてはいけません」
 (エレノア・ルーズベルト)

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