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夕日を眺める友達たち

あなたも私もひとりではない

先日にお会いしました、うつ・心の病・不登校の方向けのヒーリングを受けに来てくださった方とお話しさせていただくなかで、

「人と人が関係を持つこと」について、あらためて考える機会をいただきました。

「人」とか「人間」という言葉で、私たちは自分を表します。

その「人」という字は、ふたりの人間が支え合っている姿だと言われていて、

「人間」という漢字は「人」のあとに「間」という字が付いているように、

私たちは一人では成り立っていない存在なんだろうと思うんです。

どのような生き方をしても、社会を通して誰かと関係を持っていますから。

だから、私たちは誰かと結ばれていることでこの世界にいることができている存在であって、

どのような関係性のなかで生きているかということが、その人の生き方を表していることなのでしょう。

(いろんな方との関係性の中で生きているということについて、以前にもこちらの「理想の『人間関係』のために」の中でお話しをさせていただきましたね)

仲の良い仲間達

もともと「人間」と言う字は、中国語では「世間」という意味をもつそうです。

それが、日本に伝わった時に、世間という意味から「人そのもの」という意味に変わったのですが、

それは人と人の間や、関係性の距離感を大切にする感性がそうさせたのかなと思うんです。

私はヒーリングを通していろんな人にお会いしていますが、目と目を合わせてお話しをさせていただく時、

そこには目に見えない氣のようなエネルギーのようなものでお会いする方と私が繋げられていると感じます。

それは、ヒーリングのセッションの場合だけではなくて、どのような場面でも、人と人の間には同じ空気があって、同じ空気を吸って、同じ景色を見ていると思うんです。

だから、あなたも私も「ひとり」ではないんです。

知らないうちに、いつも誰かと一緒にこの世界のものをシェアしているんです。

そのことに気づけば、自分と周りの間にあったはずの壁はなくなるんです。

他者を恐れることも、自分の気持ちを閉じ込めることもしなくていいと分かるんです。

もし今、あなたが誰かとうまく関わることができなくても、焦ることはありません。

ただ、あなたが感じたことを共有することだけで、それは始まっていくのですから。

大人になって、仕組みを知るなかで、利害というものが人を信じることを難しくさせてしまうのなら、

子供の頃の記憶を思い出すのもいいと思うんです。

肩を組む友達たち

「袖振り合うも多生の縁」ということわざがありますが、この「多生」とは前世のことなのだそうです。

ひょっとしたら、どのような人とのご縁も、偶然に出会うものではなくて、何回も転生を繰り返しながら結ばれたものなのかもしれませんね。

目の前の「有る」とか「無い」とかよりも、「もしかしたら」という見方で誰かと関わろうとする時、その人と自分の間に明るい可能性を見ることもできるはず。

心を豊かにさせてくれる関係を築くこともできるはずですから。

「自分をその人より優れているとも、偉大であるとも思わないこと。
 また、その人を自分より優れているとも、偉大であるとも思わないこと。
 そうした時、人と生きるのがたやすくなる」
 (トルストイ)

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