与えることの大切さ
与えられるよりも、与える時に幸せを感じること
私たちは、いろんな形で与えられることを期待します。
それは、周りの人に対しても、目には見えない神様のような存在に対してもです。
それが当たり前のことになると、ありがたさも忘れてしまうものですが、
でも、その感覚を思い出すために、見返りを求めずに相手を思う親切をする機会が、人生のいろんな場面で用意されています。
そのことに気づくことができれば、この世界は人と人の関わりで成り立っていることに気づきます。
私たちは、人に生かされているということにも気づくのです。
人と関わることで、優しさや愛を知ることができます。
そして、素直に人を好きになることや、思いやりも希望を持つことも、いろんなことに感謝する心も育てられていきます。
誰かの幸せを自分の幸せのように感じるようにもなりますから、自分の幸せの在り方や生きがいを見つけさせてくれます。
その時にはもう寂しさがないから、自分の心や個性にも向き合うことができるのです。
そのような心を持っていれば、これから社会がどのような価値観になったとしても、動じることはないはずです。
自分の心が分からなくて孤独を感じていても、誰かと触れ合うことで心が暖められて、人の心も分かるようになるのです。
自分の心の状態をよくしていくことや、心を満たそうとして誰かと関われば、相手もまた同じように満たされていく。
つまり、自分に優しくすることができれば、人にももっと優しくなれるのです。
心と心がつながると、あなたは相手の立場を理解できます。
相手の気持ちも想像することができるのです。
「受けるよりは与える方が幸いである」
(新約聖書 使徒言行録20章35節)
という言葉のとおり、私たちに大きな気づきが与えられる瞬間は、自分が手に入れる時よりも、誰かに与える時なのでしょう。
今までを思い出せば、私はたくさんのものを周りの人から与えられてきたこともありましたし、私から与えることができた人もそれから変わっていったこともありました。
優しさや愛を与えられて与えている中で、お互いの存在も肯定しているような安心感もやり取りしていた気がします。
その関係性があるだけで幸せも感じられました。
そこには、与えることが自分の損につながる発想もなかったはずで、後で得をすることを考えて何かをしてあげるという計算もなかったはずですから。
それは難しいことでもないですし、試されるような形で現れるものでもないのです。
この世界の法則の一つは、与えれば与えた分がいろんな形で返ってくるということ。
頭だけでは理解できないこともありますし、実際に自分でやってみなければわからないこともあります。
一歩を踏み出すことで、その後の展開も大きく変わってくるはずです。
あなたの心の向きが変わって、いろんな人とのつながりが生まれるからです。
誰かに与えると、私の心が成長すること。
誰かに与えたことは、私に返ってくること。
誰かに与えれば与えるほど、私の心に豊かさができること。
人に助けられる経験と、人を支える経験が、今の私の心を創っているのです。
「自分を思いやることを学べば、
他人への思いやりの輪、
手を携えることができる相手、対象、方法が広がっていく」
(ペマ・チョドロン)
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