罪悪感との付き合い方
幸せになる私をゆるしていい
私たちが、自分に対して大きな影響を与えるもののなかに罪悪感というものがあります。
たとえば、
過去の自分のしたことを後悔したり、
仲のいい友達に、なにか申し訳ない気持ちを感じたり、
自分を責めて追い詰めてしまったり、
そのような気持ちは、罪悪感が働いていることによるものですから、自分が幸せになることも不幸になることも許せない心の状態でもあるのです。
たとえば、誰かを傷つけてしまったことへの罪悪感であれば、自分で自覚できるのですが、
自分の中で生み出された、外的な原因の見つけられない罪悪感は自分では気がつかないこともあるのです。
人間は生まれながらに罪を背負っているという考え方もありますが、それは日常に感謝をして、謙虚に生きることを説くためのもの。
問題をつくりだす罪は、それとは異なるものですし、自分の存在を否定するものでもないのです。
私たちが意志を持って選択したお仕事や恋人や環境はすべて、自分が幸せになれると思って選んだものです。
それなのに、自分が傷つくような、幸せを感じられない状況であるのなら、その根底にある自分が創り出した罪悪感を手放していくべき、自分をゆるしていくべきなのです。
この世界で一番ゆるすことのできないのは、自分自身です。
誰よりも、あなたがあなた自身を罰しているはずです。
だから、私たちが幸せを感じる時は、自分をゆるすことのできた時でもあります。
絶対的な状況証拠が見つけられないのでしたら、どんなことにも反射的に自分が悪いとか自分のせいだと思い込む必要はないのです。
そして、幸せを感じることをゆるしていいのです。
罪悪感という感情をうまく扱うことができれば、誰もが幸せになることができるはずですから。
「幸せになりたいなら、なりなさい」
(レフ・トルストイ)
という言葉があります。
それならば、なぜ自分の足を引っ張るような罪悪感が私のなかに備わっているのかという気持ちもわいてきます。
なぜ、幸せな方に、ポジティブな方に一直線に向かうようにされていないのか。
確かに、罪悪感も含めて、いろいろなネガティブな感情は私たちを悩ませたり、苦しめたりするものですが、私たちの人生に負荷をかけたり制限をして、これからの展開を面白くするための要素でもあるのです。
それは、挫折の後の成功がとても輝かしいものになるようにです。
お体やお仕事や環境など、どのようなことについてもそうですが、それがあるから幸せになれないのではなくて、それがあるからこそ私は幸せになれる。
自分を犠牲にして誰かを幸せにしようとすることもできるけど、あなたも私も一緒に幸せになれる。
そのように受け取ることを自分に許可することが、幸せになるための考え方です。
ですから、消そうとするのではなくて、共存することを目指していいのです。
あなたの幸せは、誰かに迷惑をかけるものではありません。
疑うこともありません。
良いことや幸せも素直に喜んでいいのです。
私は幸せになる資格をもう持っていると自覚をして、大切なものや愛している人のそばにいていいのです。
幸せになるための、愛と豊かさと喜びと成功をあなたは受け取っていいのです。
「幸せになることは満足することである。
満足することは受け入れることを意味する」
(マキシム・ラガセ)
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