他者との比較
心を豊かにするには、他者との比較は必要ないということ
先日、ヒーリング・除霊のセッションを受けに筑後市から来られた方の、お仕事への一途な姿勢がとても素敵でした。
その理想が現実となるように、私も応援しています。
来ていただいて、ありがとうございました。
これからの更なるご活躍を楽しみにしています。
私たちは、自分を高めるためや、今の自分の実力や立ち位置を確認するために、他者と自分を比べることをします。
あの人に負けないようにがんばらなければいけない。
努力を続けて一番を目指さなければいけない。
このような気持ちが起こるのは、人間として当たり前です。
他者を意識して、自分を高めるということは、生きるエネルギーに満ちあふれている証でもありますから。
でも、他者との比較に意識をとらわれると、心をすり減らすことになります。
比べることから評価することの中で自分を見れば、足りない部分にばかり目が行って、自信は失われる方へ向かっていくのです。
大切なことは、周りからの評価ではなく、自分の幸せを基準に考えてみること。
「多様性は私たちの強み。もしみんなが同じだったら無意味でつまらない人生じゃない」
(アンジェリーナ・ジョリー)
という言葉があります。
人は誰でも、自分にないものを求めるものです。
例えば、持っている物から、容姿やご縁についても、自分と他者を比べてうらやましいと思ってしまいます。
私たちは、人の持っているものをうらやましいと思うことや、欲しがることをしないように教えられてきましたが、
他者をうらやましいと思うのは人間の性質として自然なことですから、逆にそこを律することは自分を苦しめながら生活することになる気がするのです。
大切なことは、他者と自分を比べることは当たり前ととらえて、自分は今、そういう気持ちに振り回されていることを自覚すること。
そして、もう一方の、他者と自分を比べるべきではないという意見の自分も認めてあげること。
自分のなかに、正反対の二つの価値観がある時、あなたは自分にとって何が本当に必要なのかを考えて、価値観の中庸を見ることができるのです。
人は人、自分は自分。
それでもいいのですが、
でも、中庸を歩み出した時には、いろんな人の主張が自分の表現のなかの一つになる。
つまり、他人がいなくなるのです。
「あなたがたはまだ眠っている」(新約聖書 マルコによる福音書14章41節)
という言葉があります。
私たちの命は、若いほどエネルギーが活発で、欲望もたくさんありますし、他者より自分を優先することも多いのです。
だから、見えない世界をなかなか理解することは難しくて、見えるものばかりに気持ちが向いているものなのでしょう。
私たち人間の成長というものは、見える世界でいろんな経験を積んでいくうちに遂げられるものだから、若い頃は見えるものに集中することも大切なのです。
でも、年月が経って、人やものを見る目や考える力を身につけた時、自分の喜びや利益だけでなく、他者についても同じように考えるようになります。
自分だけではなく、周りの人もよくなることを意識し始めた時に、見えない世界についても考えるようになるのです。
私たちは自分の在り方が調ってから、見える世界と見えない世界のバランスをとりながら生きるようになるのでしょう。
現実世界にしっかり足をつけて生きながらも、歳を重ねるごとに、心の世界への理解が深まって、さらにこの世界を心豊かに生きることができるようになるのでしょう。
この世界にいなければ体験できない喜びがあります。
大切なことは、自分がまだ目覚めていないことに気づくこと。
「知性は、
自分の殻に
閉じこもるためにあるんじゃない。
自分を押し開いて、
いろいろなものを受け入れるためにこそ
使うべきなんだ」
(映画「グリニッチ・ビレッジの青春」より)
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