この世界を、「自由」に生きるための方法
先日、Facebookで繋がっているお友達が遊びに来てくれました。
癒しのお仕事をされていること、言葉で心を表現されること、なによりも、自分の人生を主観で熱中して生きていらっしゃる、自由なお姿が素敵な方。
そして、やはり不思議な方でした。
出逢うことができた、ご縁に感謝です。
仏教に、「智慧」という言葉があります。
これは、日常を意識的に経験することで得られる「気づき」のことを指します。
そして、その気づきの積み重ねによって、現状の自分の限界を超えて新しい可能性に向かうことを「智慧の目覚め」と呼びます。
真の智慧を学んだ人々への美しい恩恵とは、穏やかな心で、何も恐れず、そして自由に生きること。
「自由」とは「自らに由(よ)る」と書きます。
つまり、他人に由らないで、自分が決める。
自分が選ぶ、ということです。
自分は何を望んでいるのか、何に価値を見つけるのか、何を信じるのか。
自分を豊かにしてくれるものは、本当に自分を幸せにしてくれているのかを、いつも自分で感じ、考えることをする。
そして、この世界を自分の好きなように、理解していく。
もし、出来事や人に対して、こうあるべきだと生きているのであれば、過去にいつまでも縛られているのであれば、これから出会う新しい価値観と、出逢いが生み出す可能性の意味がわからなくなってしまいます。
本来あるべき姿などは存在しません。
何も持たずに生まれて、何も持たずにこの世を去る私たちには、本当の意味での「所有物」というものはなく、とらわれるものもないのです。
人間の一生とは、生き方の法則やマニュアルを学ぶために生きることではありません。
それは、人の意見や人間関係に左右されず、染まらず、流されず、本来の自分を保ち続けること。
知っている道を歩くのは楽ですが、知らない道を歩くのはつらいことです。
出来ることなら、すすむ道を安易に指示されたいと思ってしまいます。
でも、自由とは、新しい自分の人生とやり方をもって創造すること。
一から自分で創り上げること。
この世界では、「思考の私」が本当の私だと思い込んで、思考の私を大事にして、悩みや執着を自ら長引かせてしまいます。
だから、子供のように、思考の私をいつでも手放すことができて、今の自分に集中できる方がいい。
そうすれば、そもそも罪・悪とか正・得とか、そういった区別を離れた世界が本質であることに気づくはずです。
その瞬間に支配されて動けなくなってしまった時は、別の価値観や考え方を持ってくることで、その場の自分を救ってくれる。
「私はこういう人間です」という思い込みをなくせば、すべてのものから学ぶことができます。
つまり、目にするすべてのものが「師」となるのです。
そのような中で、自分自身について、恥ずかしいことがない、嘘がない、自分で見つけた新しい価値観を自分の体験で確かめる時こそ、自分が自由になっている時なのです。
過去からの自由。
観念や概念からの自由。
価値判断からの自由。
それが、自分を取り戻す方法。
人生を自分のものにする方法。
大切なのは、自分が望んだように生きること。
きっと、それが自分を自由にしてあげること。
「咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる」
(坂村真民)
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