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祈りを捧げる人

愛や感謝や友情から感じる、見えないものの大切さ

この世界の、自分の外側にある「見えるもの」について、これは絶対に確かだと言えるものはかなり少ないものです。

それはずっと存在するものでもありませんから、一度追いかければ追いかけ続けなければならないもの。

目に映るものが必ずしも真実ではありません。

正しく見ているつもりでも、私たちは自分の見たいように見て、それを自分の真実としていますから。

だから、どのような目で見ているかが大切なことなのでしょう。

(見えるものにも、見えないものにも、それをどう見るかということについて、以前にもこちらの「見えるものと見えないもの」の中でもお話をさせていただきましたね。)

絵画の前で足をとめて見入ってしまうのは、その絵がただ風景を写したものではなくて、その画家の方が感じたものも形あるものにしようとした感性が伝わってくるからなのでしょう。

それは、テクニックや魅せ方よりも感性として、私たちにいろんなことを想像させてくれます。

同じものを見ていても、ある人は喜びが感じられたり、ある人は悲しみを感じたり。

はっきりと目に見えるもの、認識できるものだけが確かなものではないのです。

そこから、自分なりに何を感じるかなのです。

本当の自分に気づく人

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
 かんじんなことは、目に見えないんだよ」
 (サン=テグジュペリ)

という言葉があります。

私たちの毎日の生活の中でもそう。

自分のしていることに意味を与えようと思えば、意味のないことも意味のあることにできるのです。

本当になんでもないことが、誰かの役に立っていることもあるように、目には見えなくても大切なものがこの世界にはあります。

それは、愛や感謝や友情もそう。

目には見えなくても伝わるものですし、目には見えなくても働くものだからです。

肩を寄せ合う恋人

「この世界で最も美しいものは、実は見えたり聞こえたりするものじゃなく、
 心で感じるものなんじゃないでしょうか?」
 (ヘレン・ケラー)

という言葉があります。

私たちは、自分のしたことに対して見返りを求めてしまうものです。

それは、愛についてもそうです。

たとえば、自分が与えた愛に対して、プレゼントをもらえないと相手の愛の証がないような気がしたり、お手紙をもらえないと相手の心が確かめられないような気がしたり、言葉をもらえないと相手の気持ちを信じられないような気がしたりします。

その気持はわかりますが、でも「私はこれだけのことをしたから、これだけのことが返ってきました」という法則は、この世界の「目に見えるもの」についてのこと。

「目に見えないもの」については、ちょっと違う法則が働くのです。

それは、手に入れることと手に入らないことでは測ることができないということ。

目に見えるものを基準にしていれば、それを持っている間は豊かであるかもしれませんが、失った時にはそれも終わってしまいます。

でも、目に見えないものを基準にしていると、次元が変わってくるのです。

私たちが、愛や感謝を誰かに与えると、与えれた相手も、その感覚を持っている自分自身も満たされた気持ちになるようにです。

そういうほんの少しのもの、目に見えないもの、お金に変えられないものの大切さを知ることは、私たちの心を豊かにするために必要なものだと思うのです。

「百聞は一見にしかずと言うが、場合によっては、
 目に見えないものが一番確かだったりするのさ」
 (映画「ボーラー・エクスプレス」より)

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