人間のもつ複雑さ
心と思考のバランスをもつ私たち
先日、占い・ヒーリング・除霊のセッションを受けに来られた方と、「私たちの学び」についてお話しをさせていただきました。
人間としての成熟とか、自分を高めることを目指そうとする時に、私たちはいろんな知識を頭の中に積み重ねることをしようとします。
それを私たちは「学ぶこと」だと思っていますから、知識が自分を高めてくれるものだと思っているんです。
たしかに、思考の自分を高めてくれるのは知識によるもの。
でも、もう一人の自分、感覚の自分を高めてくれるのは心で考えることをする経験によるものなんです。
(人間としての自分を高めることについて、以前にもこちらの「人間としての成熟」の中でお話しをさせていただきましたね)
心で考えるということは、想像力と感受性を働かせて物事を見るということ。
そこには、こだわりとかプライドも必要ではありません。
どんな自分にもなれる自分を感じることができます。
わからないことを正直に「わからない」と言うこともできるはず。
「真の知識は、いかに自分が無知であるかを人間に悟らせるもの」
(パウロ)
という言葉があります。
どれだけこの世界のすべてのことを知っていると思っても、まだまだ自分の知らないことが数えきれないほど多いもの。
だから、今はあなたの周りにあるものや、そばにいてくれる人について深く知っているだけでもいいんです。
いろんなことを知っている知的な人も素敵ですが、人間というものをよく理解されている謙虚な人も素敵だと思いますから。
「『我々はみな、知識を持っている』ということは確かです。
ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
自分は何か知っていると思う人がいたら、
その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです」
(新約聖書 コリントの信徒への手紙8章1〜3節)
という言葉があります。
「愛」という言葉は、特定の人だけへの限定的な気持ちを想像しがちですが、ここで言われている愛は「思いやり」とか「やさしさ」とか配慮のことだと思うんです。
普段の生活のなかで、当たり前のようになっている「正しいことならやればいい」という考え方がありますよね。
そこに、ここで言われている愛を当てはめていくと、合理的な判断もできなくなったり、いろんな人の考えが入ってきて、複雑な状況をつくってしまうかもしれません。
でも、計算されたすべての行動のなかに、愛とか配慮が入り込んでいける余地を見つけられるなら、私たちの心はいつまでも学び続けていくんだろうと思うんです。
想像力と感受性を使って。
「正しい」を追求し続けることもできず、「間違っている」を完全になくすこともできず。
善に徹することもできず、悪に徹することもできず。
いつも、いろんなところから愛と調和を教えられる。
私は、人間のこの複雑さが好きなんです。
いつか、あなたにお会いした時は、あなたが知っていること、見てきたことと、
私の知っていること、見てきたことをお話しさせてくださいね。
その日を楽しみにしています。
「みんな、助け合って生きていたいんです。
それが人間というものです。
お互いの幸せに寄り添って生きていたい。
人の不幸を喜びたくないし、
憎しみ合ったりバカにし合ったりなんてごめんなんです。
この世界には、みんなが暮らせるだけの場所があります。
大地は豊かで、私たち全員に
恵みをもたらしてくれるのですから」
(映画「独裁者」より)
この記事へのコメントはありません。