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山頂から朝日を見る人

今の自分は、もう足りていると知ること

「無事是貴人」という言葉が禅にあります。

この無事というのは何もしないという意味で、悟りを得るということは何もしないということ、ということを表している言葉なのだそうです。

この世界では、得ることや足していくことが重要視されますから、なかなか理解のできない考え方でもあるのですが、

人間が本来求めているものとは、何も手をつけない状態、ありのままの姿にあるということを説かれているのでしょう。

私たち人間や、動物や植物のなかには仏の心が宿っていると仏教では言われています。

そのような私たちは、自分の外側に本質を探そうとするのではなくて、内側にある自分らしさと自分なりの美しさに気づくべきなのでしょう。

持っているものが多かったり、容姿の美しいことや着飾ることは素敵なことですが、あなたの本当の魅力はあるがままの自分にあるのです。

それが、無事是貴人の言葉が表す、何もしないという生き方なのでしょう。

その何もしないという生き方は、行動を起こさないという意味ではなくて、日常の出来事を過大解釈せずにそのまま受け止めて、その流れの中で、一生懸命に生きること。

幸せになることも、満たされることも、あるがままの自分から探す方が早くたどり着くと思うのです。

夢や希望や願望を追うことに疲れてしまう時は、外ばかりを見ていた視線を自分の内に向けて、ゆっくり内観することも大切です。

「自分の持っているものに、ありあまる豊かさを感じない人間は、
 たとえ世界の征服者になっても不満足である」
(エピクテトス)

という言葉があります。

何もない、ありのままの自分を認めることができれば、豊かさのとらえ方も変わります。

私たちは誰もが幸せになるために生まれてきていますから、幸せになるために豊かになりたいと思っていますが、

自分の在り方を認めることで、その豊かさについても、何をもって豊かととらえるかという考え方が生まれてくるのです。

豊かさとはお金があることという解釈もあるでしょうし、心が穏やかでいられることを豊かだと感じる人もいるでしょう。

だから、豊かさとは一人ひとりの心の中で決められるものであって、これが絶対に豊かなものという形もないのです。

「知足」(老子)という言葉がありますが、これは私が今持っているものですでに足りていることを知る、ということです。

どれだけ物の不自由のない生活をしていても、今の自分が十分に満たされていることに気づかなければ、

足りない自分のために「もっともっと」と求め続けたくなるのです。

それは、自分で作り出している苦悩ですから、周りの人からは気づくことができないものです。

でも、持っているものはこれで十分という充足感と、今の自分の周りの状況を有難いと思う感謝の気持ちがあれば、どのような時も平穏であるはずです。

その心は、いつか時が来れば自然と成れるものでもありません。

日々、その意識をもって自分の心を育てていくこと。

それで、物質的なものや、誰かからの評価や今の立場などについても迷いはなくなっていくのです。

豊かさとは、あなたの心次第なのですから。

「足ることを知ることこそが、幸福である」
(森鴎外)

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