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瞑想をする人

孤独は、自己責任と自由を感じさせるもの

孤独とか、一人で生きるということは、一人ぼっちで誰とも関わらずに生活をするような、なにか寂しいイメージをしてしまいますが、

本当の孤独とは、都会に住んでいても山奥に住んでいても、家族と一緒に住んでいても、依存や責任転嫁をせずに、自立をして生きること。

誰かを気づかうことはあっても、自分のペースで生きていくことです。

だから、本当は孤独とは、楽しむものなのかもしれません。

私たちは誰でも、人生の所々で孤独になることがあります。

でも、それを余裕のある自由の時間を手に入れたことだと思えれば、ポジティブに人生を充実させる方へ目が向きます。

今まで誰かのために生きてきた時間を、今度は自分が生きるために使っていく。

それは、誰にも遠慮をすることのない、あなただけの生き方につながるはずです。

「人生において、一番大切なことは自己を発見することである。
 そのためには、時には一人きりで静かに考える時間が必要だ」
(フリチョフ・ナンセン)

という言葉があります。

禅宗のお寺の修行では、「清規」と呼ばれる生活の規則があって、日々のやるべきことが細かく決められているそうです。

日々の修行をこなすだけで精一杯のなかでは、余計な考えが入ってこないという境地にたどり着くのでしょう

怠けたいとか、必要以上に楽を求めることも、逆に自分を見失うほどの速さの生き方でもない、ただやるべきことを日々行うことによって自分のペースを取り戻す修行でもあるのでしょう。

普段の生活のなかで、どれだけ周りに人がいる環境でも、一人で生きることを意識する時、自分のペースがあるということに気づきます。

お仕事をしている時や、スポーツ競技をしている時、周りの人と比べて自分のペースが遅ければ焦りを感じますし、速ければ安心できます。

他者のペースを気にすると集中できないのは、自分のペースではないスピードで取り組んでいるから。

時には、誰かのペースに合わせて自分のペースのレベルアップを図ることも大切なこと。

でも、自分のペースを知ることで、なにか課題を与えられた時でも、いつクリアできるかというリミットが分かるようになるのです。

それが、あなたの自信となるはずですし、周りからの信頼にもつながるはずです。

自分のペースが分かれば課題をクリアした後の自由な時間を楽しむこともできます。

自由は身軽さとなって、あなたにいろんな価値観を見せて、新しいことに向かわせてくれます。

新しい出会いも期待できるはずです。

一人で生きることの自由を実感する時、人生はいつも自己責任であることにも気づきます。

私たちは、自分に都合の良くないことが起きると、誰かのせいにしがちです。

でも、それはいずれ怒りとなりますから、許すことの難しいものになってしまいます。

でも、自分のせいだと思えれば、だいたいのことは許せます。

自分で判断したことは、自分の責任だから、誰のせいでもない。

ポジティブにそう思うだけで、余計な感情も入ってきません。

いつも穏やかで在ることもできるはずです。

どんなことがあっても、投げやりにならずに、希望や楽しいことを自分軸で見つけていく。

それが、孤独を楽しむことであって、自分の人生に責任を持つことですから。

「君が独りの時、本当に独りの時、誰もができなかったことをなしとげるんだ。
 だから、しっかりしろ」
(ジョン・レノン)

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