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朝日のなかの人

奇跡とは自分で起こすもの

奇跡と聞くと、それは空を飛んだり、何もないところから物が現れたりするイメージを持たれると思いますが、

私たちは、また違った奇跡を自ら起こすことができます。

それは、現実世界のなかで、今の自分に必要なご縁や出来事を引き寄せることのできる、日常の奇跡と呼べるもの。

そのなかで、不可能なことを可能にしようとする時、心配や不安や恐怖を超えていくために大切なことは強すぎる欲を忘れること。

欲というものは、私たちの行動の原動力でもありますから、そのすべてを捨て去ることは逆効果になりますから、できるだけ少ない必要なだけの欲を持っておくことです。

そうすれば浄明正直の言葉のとおり、人間本来の清く明るく正しい美しい心が表に表れます。

そのような心の状態である時は、心配や恐れが薄くなって、絶望を感じることもなくなります。

何かを求めすぎる行動の底には、強すぎる欲があって、それは失うことへの恐れや自分の都合に合わせてすべてをコントロールしたいという気持ちから生み出されていますから。

「自分の内なるものも外なるものも、見ているものを変える必要はない。
 ただ見方を変えればいいのだ」
(タデウス・ゴラス)

という言葉があります。

今までの私たちは、手に入れることで一時的な安心を得て、しばらくしてまた新たに何かを手にしれなければならないという、終わらない不安のなかにいたのかもしれません。

究極的な見方をすれば、物質的な欲には安心は感じられないのでしょうし、自分の都合だけを考えていれば、穏やかにいることも難しいですから、心の真ん中に愛が常駐するイメージは持ちにくいのかもしれません。

私たちは、肉体を持って現世に存在しています。

この世界で私たちが求められる修行とは、現実世界で肉体の求める欲を感じながら、精神世界で魂の向く方向を定めることなのかもしれません。

魂が明るい希望の方向を向いている時、目の前の一時的な欲を無視することもできます。

不可能だと思っていたことが可能になったりもします。

人間の本質は、その人がどこを向いているか、で決まるのかもしれません。

その人が、ずっと考えていることがその人であるように、私がずっと考えていることが私自身になって、私という人間を創っていくのです。

目の前のちょっとした心配や恐怖にとらわれたり、まだ起こってもいないことを不安に思うなら、そこに悩みも生まれるのです。

私たちの悩みは、心配や恐怖や不安とセットになっていますから、考え方を今と違う方向へ向けることで抜け出すことができるのです。

だから、常にいろんな視点をもって、考えてみること。

性格が内向的とか、気が弱いことは全く関係ないのです。

どのような人でも、自分の心の動きを把握して、自分にとっての正しい方向を見るように意識をすれば、必ず人生は自分の思う通りになるのです。

それが、私たちの起こす奇跡の仕組み。

誰にも与えられている引き寄せの力なのです。

「人生のほとんどすべての不幸は、自分に関することがらについて、あやまった考え方をするところから生じる。
 できごとを健全に判断することは、幸福への大きな第一歩である」
(スタンダール)

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