足りなくても大丈夫
私は十分に与えられているということ
求めて手に入れることを「成長」や「達成」の形だととらえている私たちは、今の自分に足りないものは何なのかを常に見つけ出そうとします。
それがモチベーションの源になって、現状を変えていく力となりますから、私たちには必要なものなのです。
でも、つい、このように考えてしまう時もあるかもしれません。
もう少しお金があれば。
資格をもっていれば。
頭がよければ。
その気持ちがエスカレートした時に、自分の足りない部分にフォーカスしてしまいます。
そうして、足りないことを理由にしていれば、お仕事や人生の大事な決断をする一歩を踏み出せないこともあります。
私たちは、自分にないものばかりに目を向けると、自分が持っているもの、つまり個性や可能性を信じることをやめてしまうからです。
それは、自分を否定することでもありますから、良い循環を生み出す考え方ではないのです。
仏教に「少欲知足」という言葉があります。
欲張らずに、今の自分に与えられているものを受け入れなさいという意味の言葉です。
たとえば、年収が300万円の人は幸せかどうかを考えてみる時、
欲しいものがいっぱいあるけど買えないから、収入が増えれば、もっと幸せになれるはず。
という意見もあるでしょうし、
裕福ではなくても、家庭は仲良くできていて幸せだから、収入はこれだけあれば十分。
という意見もあるはずです。
私たちが幸せを感じる基準は、本当は物を手に入れることではなく、その時に動く感情や心の充足感によるものです。
だから私たちが、足りないと思っているものの後ろには、見えていたものだけでは測れない価値のあるものがあるはずなのです。
それは、愛とか感謝とか、いつも目に見えないもの。
そのようなものを感じられる私たちは、どんな出来事にも感謝をすることができますし、困難の中にあっても希望をもって生きることもできます。
本当は自分には不足しているものはないとわかれば、ほかの人よりも多く持とうとしたり、人から奪おうとする気持ちもなくなっていくのです。
立場やお金だけが自分の価値ではなかった。
もっと重要なものがあることに気づいたら、今までの生き方からも開放されて軽やかに生きることもできるはずです。
「人生は単純なもの。
私たちが複雑にしようとしているのです」
(孔子)
という言葉があります。
人生を幸せに生きようと思う時、私たちに必要なことは自分の心を上手く扱えるようになること。
どのようなものも、誰に対しても大切に想うことのできる見方のできるようになることです。
自分にも他者にも優しいだけではなくて、必要な時は厳しくもできる、他者と自分という境界の薄い関係性を意識することや、
見えるものだけではなく、すべてを大切にする心を持つことが本当の幸せにたどり着くコツのような気がするのです。
すべてのものの価値は、私の心で定めていく。
今の私には、すべてがちょうどいい。
そのような感じで軽やかに生きてみませんか。
「あなたの置かれた状況は変えられない。
でも、その状況との向き合い方を決められるのは、
あなただけよ」
(映画「フィフティ・フィフティ」より)。
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