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草原を歩く人

私の自分らしさを表現して生きて行く

私たちの暮らしている現代は、豊かで便利な環境のなかで生活を送ることのできる、日常生活に大きな不安を感じる必要のない時代だと言われます。

それぐらい、この社会の仕組みが合理的な状況だということなのでしょう。

それはとても素晴らしいことなのですが、言い換えれば、生活をする上で私たちは特にいろいろ考えなくても生きていけるということでもあるのです。

だから、逆に何かを考えすぎたり、自主性を固持する方が生きづらいこともあるかもしれないのです。

(自主性を持つことの大切さについて、
以前にもこちらの「好きと嫌いで選ぶ人生」でお話させていただきましたね)

私たちが幸せを感じる人生とは、自分の心が求める生き方を実現できている状態のこと。

自分の心の中にある想いや光景がそのまま現実となっていることが幸せの姿なのです。

でも自分で考えなくても、周りの人と同じような生き方をしていればそれなりの幸せを手に入れられると分かれば、自分で判断することも行動することも重要ではなくなってしまうのです。

綺麗な朝焼けの空

「なりたかった自分になるのに、遅すぎることなど決してないのだ」
 (ジョージ・エリオット)

という言葉があります。

自分自身を見つめることや自分と向き合うことは、自分の本心に気づいて、それに基づいた生き方をしようとするため。

その生き方のために、まずは自分自身に忠実になることです。

それは、自分を認めること、自分を肯定すること、自主性を持つこと。

そのような意識を持って生きていれば、人生の中で何かを見たり聞いたりした時も、自分なりにどのように感じるかが変わってくるのです。

それは、生き方や考え方を通して身につけた癖のようなものであって、特徴のようなもの。

それが、その人らしさでもあるのです。

だから、どのような特徴でも自分らしさを貫いている生き方は、自分を表現して生きていることなのです。

今ここを生きる人

自分と同じものを見て安心感を覚える私たちはつい、考え方や生き方も同じように見ようとする傾向があるのかもしれませんが、

みんなが同じように考えていることが必ず正しいということではないのです。

私たちには、それぞれに自分らしさがあるからです。

生まれた場所も育ってきた環境も違うから、考え方も生き方も同じということはありません。

たしかに、みんなと同じようにしようとして、意志や気持ちを合わせていくことは楽に生きることを許してくれます。

でも、それは自分の本心を隠したり我慢して、建前で生きていることのようにも思えるのです。

自分の心に正直に生きることは、生きづらさを生んでしまうのかもしれません。

でも、それが自分を偽ることになったり、自分を苦しめたり、何が正しいのかを分からなくさせたりするのなら、

同じであることがいつも正しいということではないことに気づいたということです。

あなたは、あなたの想いやひらめきを外に向かって表現していいのです。

誰の真似もしないで、自分の特徴を使って生きていいのです。

あなたの自分らしさとは、誰とも比べられないもので、誰にも奪われないものですから。

「主体性を持つということは、
 率先力を発揮するだけでなく、
 自分の人生に対する責任をとるということである」
 (スティーブン・R・コヴィー)

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