若さと老いについて
年齢を重ねることで、見えてくるもの
先日、出張ヒーリングの依頼をいただきまして、福岡市のお客様宅へ伺わせていただきました。
年の頃は60歳半ばほどの方で、会社を経営されながら、プライベートでは多くのご友人様と楽しい時間をすごされている、とても素敵なお方でした。
少年のように、目がキラキラされていたのを今も覚えています。
日本は、高齢化社会ということもあって、元気なご高齢の方をよく見かけます。
若さとは、肉体の経過によって判断されるものではなく、心の純度の高さのことを言うのでしょう。
あなたの目は澄んでいますか?
肉体には限界がありますが、心には限界はありません。
先日は、いろいろなお話をさせていただいて、私もたくさんの学びをいただきました。
ありがとうございました。
「若いことは素晴らしいことだが、成熟して経験豊かだというのも、それに劣らず望ましいことである」
(バーナード・バルーク)
という言葉があります。
私たちは若い時には、自分に与えられた幸運や評価を、なかなか素直に受け止めることができないものです。
理想の成果をあげることができたのは、自分の努力と持っているものの結果だと思い込みがちです。
それは、間違いではありません。
その熱い気持ちがなければ、成しえないこともあるし、人間の能力は伸びていかないのかもしれないからです。
若者が生意気に見えるのは、きっと懸命に生きているからであって、
若者が利口ぶっているように見えるのは、学んだ喜びが満ちあふれているからなのでしょう。
でも、だんだん人生を理解できるようになってくると、自分の今までの功績は、多くの場合が、偶然に与えられたものから始まった結果だということが分かってきます。
その時、私たちは「対象」を必要としない感謝というものを、自然とできるようになるのでしょう。
年齢も関係なく、人間の一生が幸せかどうかを決める最も大きな要因は、感謝ができるかどうかなのでしょう。
そう思うことができれば、不幸な人は、その人の周りの状況が悪いから不幸になっているのではなく、幸せな人はその人の周りの状況が良いから幸福になっているのではないと分かるのです。
「常に喜びなさい」(新約聖書 フィリピの信徒への手紙4章4節)
という言葉があります。
笑顔は伝染します。
喜んでいる人は、幸せそうです。
いつも笑顔が絶えない人を見ていると、自分まであたたかい気持ちになってきます。
人間は、年齢を重ねるにつれて、様々なものを失っていくのかもしれません。
そのなかで、老化と病気とはどこで分けられるのか、わからないものです。
ギリシア語でスコロプスという言葉は、「とげ」と言う意味で、肉体の病気や体の苦しさを指す表現でもあります。
正しく利他に基づいた生活を送っているのに、なぜこのような肉体の不具合を与えられなければならないのか、納得のできないことが私たちに起こることがあります。
その時はまだ、自分のなかに道は見えず、ただ、これからの未来について明るくとらえることができなくなったり、マイナスな思考を持ってしまうのかもしれません。
年をとるということは、ほんとうの人間として試されることに遭遇するということなのかもしれません。
でも、この状況のなかで、自分にすべきことがある、ということがはっきりした時に、苦しみから立ち直る姿勢が、きっと私たちのなかに生まれるのでしょう。
「静」より「動」が好きな若い頃をすぎて、分かることがあります。
自分の年齢に合わせて、価値観をシフトしていくことで、今の自分の価値を見出すこと。
偏見や欲や見栄をもってすれば、判断を誤ることもあります。
大切なことは、自分の感覚を信じること。
どのような状況や環境にあっても心穏やかに、勇気をもって、私もうまく年をとっていきたいと思います。
「 人間、今が一番若いんだよ。
明日より今日の方が若いんだから。
いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ」
(永六輔)
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