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顔を寄せる恋人達

先日、福岡市からヒーリング・除霊を受けに来てくれた方と、「ゆるす」ということについて、ゆっくりお話をさせていただきました。

あなたが、この世界のなかに見るものの多くが、不公平を示していると思うかもしれません。

でも、そのような不公平は「真理」ではなく、あなたが抱いている、あなたが創り出した「観念」なのです。

他の人から、思いもよらない言葉をかけられたり、自分に非がない出来事が起こる時もあるのかもしれません。

そのような時、大切なことは、すでに起きたことの意味を理解して、常に自分の思い込みを打破して、新しい事態をそのままに理解して対応すること。

次々と生じる出来事の、一つ一つから学んで成長したいと前を向く姿勢。

その過程のなかで、あなたのなかに「ゆるす」という態度が必要であって、それが、あなたが自分で自分を知ろうとすることにつながるのです。

「心清ければ百事佳(よ)し」(禅語)

という言葉があります。

心が清ければ、すべてのことが良く思えるという意味の言葉です。

ものごとを映し出すのは、自分の心の在り方。

感情が問題を悪化させるのなら、感情に身をまかせないこと。

あなたに害を与えようと思う者もまた、感情にとらわれているだけなのです。

敵意や怒りを向けても、あなたも誰も、救われることはありません。

恨みを長く覚えることは、自分がみじめになること。

感情的になったら負けてしまう気がするのです。

スコットランドの大学教授であり、牧師でもある、ウィリアム・バークレーさんによると、私たちが人をゆるすためには、三つのことを学ばなければならないそうです。

第一は、「理解すること」

第二は、「忘れること」

第三は、「愛すること」

人の行動にはいつも理由があります。

失礼な人、気難しい人は、なにか心配事があるのか、痛みがあるのかもしれない。

人を疑ったり嫌ったりする人は、相手に対して誤解があるか、相手の言動を間違えて理解しているのかもしれない。

あるいは、環境のせいなのかもしれないし、人間関係がうまくいっていないのかもしれない。

人を非難する前に、その人を理解しようと努めれば、ゆるすことも難しいことではないのです。

自分の道が正しいと思う心が、相手を気に入らない心を生みます。

相手を気に入らないと思うのは、自分の方が正しいという考えがあって、相手の行動があなたの行動と違うからなのです。

でも、みんなと違うことをする人間が一人もいなかったら、この世界はどうなっていくだろう。

それは、まったく想像がつかない世界。

大切なことは、正しいとか悪いという判断基準ではなく、自分にとって善いか悪いかで、発言と行動をすること。

成長と成熟が、「ゆるす」ということにあるという人間観があります。

人は、悲しみや苦しみのなかで真理に出会うものだと、私は思うのです。

人間が、神や、そのような存在と出会うのも、きっとそういう時なのだろうから。

悲しみや苦しみのなかでこそ、きっと人は本来の人間の心に立ち返るからなのでしょう。

そのなかで、互いにゆるし合うことは、愛を身に着けることなのです。

その先にある、人間の尊厳。魂の尊厳。

「ゆるす」ということが、そこに目を向けることにつながると、私は信じています。

「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、
 憐れみの心、慈悲、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦(ゆる)し合いなさい。
 主があなたを赦してくださったように。
 あなたがたも同じようにしなさい。
 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。
 愛は、すべてを完成させるきずなです」
 (コロサイの信徒への手紙3章12~15節)

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