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お花畑にいる人

先日、ヒーリング・除霊のセッションを受けに、佐賀から来られた方と、「幸せに生きるために必要なもの」ということについて、お話をさせていただきました。

多くの方が、もう気づいているように、これからはどうやら「決められたルールさえ守っていれば幸せになれる時代」ではなくなっていくようです。

過ぎてゆく日々の中で、良いことがあっても、悪いことがあっても、今日この一日は二度とない一日であり、かけがえのない一日。

私たちが、その今日一日を全身全霊で生きるために必要なもの。

それは、「夢」と「情熱」

私も、人生の折り返しと呼ばれる年代になってきましたが、年齢を重ねていくと、夢や情熱を持ち続けるというのは、若い時に持つのよりも大きな力を必要とするものです。

でも、夢や情熱がなければ、ただ生命を維持するような生き方となってしまう。

夢や希望を抱いて生きようとする時、人は人らしい生き方を手に入れるのです。

そして、自分の思いをかなえようとして、長い年月にわたって、その思いを温めることも大切なこと。

そうして、ずっと守り続けた夢が輝く時、人間の生の道はきっと照らされることになるのでしょう。

そして、最期まで夢を、その手に持ち続けることができれば、たとえそれがかなえられなくても後悔は少ないはずです。

「無縄自縛(むじょうじばく)」

という言葉があります。

ありもしない縄で自分を縛りつけること。

自分の思い込みで、自分の行動や思考を限定してしまうこと。

という意味の言葉です。

わずかな邪念が私たちを迷わせます。

でも、心を深く内観して本来の私を知ることができれば、そもそも罪悪とか福徳とか、そういった区別を離れた世界が本質であることを知るのです。

「現実が夢を壊すことがある。
 それなら、夢で現実を壊すこともできるはずだろう?」(ジョージ・ムーア)

という言葉があります。

理想を追い求める人、ロマンチストは期待や希望に裏切られる現実と、それによってもたらされる現実に、常に向き合わなければならないのかもしれません。

でも、自分勝手な自由ではなく、自らの意志によって決断をくり返して、何ものにも束縛されない、本当の自由に生きる人間は強いのです。

だから、新しい自由な人生には、それなりの逆風が吹くということを覚悟すること。

人間の根本にある、生き方の選択とは、自由に生きるのか、忍耐で生きるのかということ。

忍耐に忍耐を重ねた人生は、とても日本的であるように見えて、皆からは尊敬されます。

でも、自由に生きた人生は、みんなから尊敬はされないかもしれませんが、愛されるもの。

自由に生きた人生とは、真似できないからこそ、魅了されるものだからです。

自由に生きても、忍耐で生きても、それほど文句を言われる量は変わらないのです。

だとしたら、自由に生きた方が、あなた自身のためになるのではないでしょうか。

生きているうちに、やりたいことを全部するのか。

生きるために、いろいろ節約したり我慢するのか。

どっちが後悔しないか。

人間は、好きなことをしながら生きたいと願います。

好きなことをしているということは、誰かに迷惑をかけていることもあるのかもしれません。

でも、好きなことをある程度はやっていかないと、人生は面白くありません。

正しいだけでは、面白くはないのです。

あなたがこれから目指すところは、

「何を所有すれば幸せだと、自他ともに認めることができるのか?」
ではなく、

「どう在れば幸せだと、自神ともに認めることができるのか?」
という世界なのですから。

「私は、あなたの行いを知っている。
 あなたは、冷たくもなく、熱くもない。
 私はむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい」
 (新約聖書 ヨハネの黙示録3章15節)

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