自愛は、自らを全肯定すること
私の住んでいる所は、青々とした景色が広がっている場所なので、太陽が昇るころや沈むころに、自然が織りなす、とても綺麗な風景に出逢うことが多くあります。
夕暮れ時、近所の体育館の照明と空の色が、タイミングを合わせたようにシンクロする時があって、まるで影絵を見ているみたいで癒されます。
太陽の光とは、いろんな宗教で「希望」や「栄光」ととらえられているように、その光景は、調和やワンネスというものを、私に連想させてくれるのです。
「忙しい」を充実と思う時、私たちは本来の自分を見失ってしまうことがあります。
日々、するべきことが多くても、自分を見つめ直す、自分が素になる時間を大切に。
普通なら気づくようなことに、気づけなくなってしまわないように。
大切なことは、物を追いかけるのではなく、心を追求すること。
自分の心を静かに見つめ直すと、ふだん自覚していないもう一つの心に、ふと気づきます。
普段の心が「陽」なら、もう一つの心は「陰」
でも、どちらもあなたの一面なのです。
それを素直に受け入れれば、それでいいのです。
人間の心と気持ちは同じではありません。
「心」は、もともと純粋で素直なものであって、外的な影響を受けて、その度に変化していくのが「気持ち」なのです。
だから、心がそのまま気持ちに伝達されるようになれば、純粋で素直な気持ちを持ち続けることができるのです。
「不条理」に出遭う時、それは自分ひとりだけに降りかかるものだと、私たちはつい思い込んでしまいます。
でも、幸せだけが続くような人生なら、人間の一生ではありません。
楽しい時間だけを「人生」と呼ぶのではなく、人間の一生とは、悩みや迷いも含んだ、そのすべて。
だから、どんな時でも、今を受け止めて生きることが、人間として美しい姿。
人生はどこまでも魅力的で、人間はいつまでも美しい存在なのです。
「煩悩即菩薩 煩悩即涅槃」(大乗仏教)という言葉があります。
目覚め(悟り)と、その反対にある迷い(煩悩)とは、ともに人間に備わっているものであって、そのことを自覚することによって、苦難がそのまま自在の境地へとつながっていくということを表しています。
つまり、迷いがなければ悟りもありません。
困難や迷いがあるからこそ、自分の愚かさに気づいて、再び愚かさに近づかないよう努力をするなかに、心のやすらぎを見つけることができるはずです。
人生とは、自分のやりたいことをやるための場所であり、生かされている目的を実現する場所。
人は、転んだり、失敗したりすることで、生かされている目的に近づいていきます。
予期せぬ出来事が思わぬ可能性につながったり、失敗がその人の才能を開花させたりもあるのです。
自分の人生が自分の思ったとおりになるべきだと考えるのは、私にとっての「進むべき善き道」から私を遠ざけてしまう結果になるかもしれない。
そう思えた先に、心を満たす答えや、生きることの意味を、人間は自ずから理解するのかもしれません。
そんな世界であっていい。
自分に身に起こったすべてのことを肯定すること。
自分の決断が、どんな結果を生むとしても、自分のしたいことのすべてを肯定すること。
そして、自分の人生のすべてを肯定すること。
それを「自愛」と呼びます。
「あなたに影があるなら、
それは光が当たっている証拠」
(レディー・ガガ)
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