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夕日に照らされたキリスト教の十字架

人生を変える、苦しみを恵みにして自分軸で生きる生き方

「Amazing Grace(素晴らしき神の恵み)」という曲があります。
結婚式のチャペルで祝福として歌われたり、いろんな歌手の方に歌われている、とても有名な曲です。

「優しい愛の手のひらで
今日も私は歌おう
何も知らずに生きてきた
私はもう迷わない」

とても美しい旋律で、とても美しい歌詞の曲です。

この曲の作者ジョン・ニュートンさんは牧師ですが、その前職は奴隷商人をしていました。

嵐に襲われた奴隷船のなかで、慈悲を求めて神に祈り、奇跡的に生還して、その5年後に回心して牧師への道を進み、イギリスの奴隷貿易廃止まで活動した人生を送られた方です。

志を後押しするような、あふれてくるパッションを胸に、ひたむきに生きた姿や、犯してしまった罪への悔恨の気持ち、そして神から受けた赦しと無条件の愛への感謝が、歌詞から伝わってきます。

私はこの曲を耳にするたびに、人はいつでも自分の思う通りに生きることができる「自由を持つ勇気」を教えてもらいます。

それは、自分で自分の人生を創っていくという、自分軸の生き方のことです。

昨日までの、不本意な生活や、罪・汚れにまみれた生活も、自分の心の羅針盤がどこを向いているかで、全てが変わります。

人は、いつでも変われます。
自分自身が望むなら。
そうなりたいという意思を持つのならば。

そして、怒りや悲しみも、すべてその瞬間で終わりです。
すべては、私の心しだい。

罪をつくりながら、そのままでよいという開き直りではなく、自らの罪に目覚め、反省をする時、その先に、きっと救いとやすらぎがあります。

弱くて足りない自分を、認めて受け入れることができた時、その先に、きっと感謝と喜びがあります。

その時、必要な姿勢は、むやみに思い煩わずに、心のままに行動すること。

ただ、正しい行為をすることによって正しい人となり、思いやりのある行為をなすことによって、思いやりのある人となるからです。

人生を振り返れば、いつかの苦しみや過ちが、きっと「恵み」であったと思える日がくるはず。

そう信じることができた時、そのままの自分で受け入れられている喜びを実感します。

だからこそ、私は日々を生きることが許されているのだろうと思います。

自分のなかの悪に向き合うこと、視線を変えることが、ものの見方を変えるということ。

自分をそっくり変えることは、これから広がっていく可能性を無限に持つことです。

私も、これからもじっくりじっくり自分の中の聖と魔の部分を見て、光の指す方向に進んでいきます。

人間として求められていることがあるとすれば、ただ「人間らしく生きること」。
きっと、ただそれだけなのだと思います。

「驚くばかりの
 恵みなりき
 この身の汚れを
 知れる我に」(新聖歌 233番)

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