悟りという生き方
この世界のいろんな区別を超えた無分別な生き方
先日、福岡県うきは市からヒーリング・除霊・占いのセッションを受けに来てくださった方と、ゆっくりお話しをさせていただきました。
スピリチュアルや宗教の教えのなかでよく目にする言葉に、「悟り」という言葉があります。
「悟り」と聞くと、それは俗世から大きく離れた生活をすることや、欲をすべて捨て去る生き方のようなイメージがあるかもしれません。
でも、悟りとは自分の外側に目に見える形で表れるものではなくて、自分の内側で起こる価値判断の変化のこと。
悟りとは、目にするすべてのものについて区別をしない生き方のことですから。
(悟りについて、以前にもこちらの「スピリチュアルと悟り」のなかでお話しをさせていただきましたね)

私たちはいつもの生活の中で目にするものについて、いろんな区別をしながら生きています。
たとえば、それは損得勘定だったり、利害や善悪だったり、その時の勘定だったり。
でも、悟りとは、その区別を超えた生き方をすることなんです。
その生き方は、ただみんなと違う道を行くことではなくて、常識を知らないという生き方のことでもないんです。
どんなことについても、その価値は自分で決めていくという、とてもシンプルな生き方のことですから。
私たちが生きづらさを感じる時は、きっといろんなことを考えすぎて、自分で選択を難しくしていると思うんです。
でも、あなたが自分の「好き」と「嫌い」に正直になるだけで、人生はもっとシンプルに生きられるんです。
そして、もっと楽に生きられるんです。

誰かと自分を比べてしまう時、自分のことを「特別ではない」と思ってしまうことがあります。
でも、あなたが特別ではないのなら、この世界に特別なものもないんです。
あなたが特別ではないのなら、この世界も「特別ではない平凡な場所」になります。
逆に、あなたが特別なら、この世界も「特別な有り難い場所」になるんです。
あなたが自分自身を見る目が、そのままこの世界を見る目になります。
そして、この世界を見る目が、そのままあなた自身を見る目になるんです。
あなたの内の世界と外の世界は別々に在るのではなくて、お互いに影響し合いながら存在しているのですから。
「余は今まで…いわゆる悟りということを誤解していた。
悟りということは、いかなる場合にも、
平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、
悟りということは、
いかなる場合にも平気で生きていることであった」
(正岡子規)

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