自分という存在
時々、誰でもない自分に戻ってみること
先日、福岡県八女市からスピリチュアルヒーリング・除霊・占いのセッションを受けに来てくださった方と、
「自分という存在」ということについてお話をさせていただきました。
自分はいったい何者なのかということを考えてみる時、私たちはずっと続けているお仕事の立場を見て、自分の存在を確かめることをします。
たとえば、「〇〇会社の〇〇」という言い方で自分を紹介したりすることがありますが、
そのような社会的な肩書きを取り払ってから自分とは何者なのかを考える時、自分の立ち位置が分からなくなることがあるんです。
たとえば、私には岡野信一郎という名前があって、ヒーリングをしているヒーラーとして自分を紹介することがあります。
でも、そのヒーラーという肩書きを使わずに自分を紹介しようとする時、どう自分を表現しようかという不安も感じますけど、
自分の内面の魅力をどう表そうかと思って、逆に心が自由に広がっていく感覚を覚えたりします。
大切なことは、時々、誰でもない自分に戻ってみること。
肩の力を抜いて、自分の外側だけを見ずに内面も深く見てみること。
あなたの外側にも、あなたの内側にも、同じだけの価値があるのだから。
そのどちらについても、自分というものを探求してみるのもいいと思うんです。
(自分を探求することについて、以前にもこちらの「人間の価値とは」のなかでお話をさせていただきましたね)
私たちは知識や経験を積んでいくことで、洞察力や技術が高められていきます。
そして、自分の経験してきた場数と合わせて、周りの人からの経験も聞かせてもらったりもしながら、「いろんなことを知っている自分」になっていきます。
でも、そこでなんでも自分の考えが正しいというようなおごりが生まれてしまうと、私たちはそれ以上の成長ができなくなってしまうんです。
「一という始めの数にふみいだす日なり
今日なり ただしくあらん」
(九条武子)
という言葉があります。
この歌は元旦に詠まれたもので、「今日は一年のスタートの日。心を正しい方へ向けて生きよう」という意味の言葉なのですが、
私たちがなにかを志す時は、元旦だけではないんです。
今日この日をゼロから始まる日とすることもできるんです。
まだまだ、私たちには新しいステージが待っています。
だから、自分で自分の可能性を頭打ちにしないこと。
子供のような気持ちになって、純粋にinteresting(私に興味を持たせるもの)とexciting(私をドキドキさせるもの)に触れてみてください。
何事も始めるには遅すぎず、早すぎずなんです。
今この時が、あなたのタイミングですから。
「大部分の人たちが行く道は楽だが、
僕たちの道は苦しい。
でも、行こうじゃないか」
(ヘルマン・ヘッセ)
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