どうにかなるという言霊
思いどおりにならないからこそ、どうにかできるということ
先日、福岡県筑後市からスピリチュアルヒーリング・占い・除霊のセッションを受けに来てくださった方と、
「どうにかなるという言霊」についてお話をさせていただきました。
思い通りにいかないこと。
それが、私たちに悩みを抱かせるものなんだろうと思うんです。
つまり、頭のなかで思っている通りにものごとが進んでいかない時、
思いどおりにならないことを思いどおりにしようとする時に、私たちは悩みやいらだちを覚えるのでしょう。
「汝らよ、この世は苦に満ちている」
(ゴータマ・シッダールタ)
という言葉があります。
この世は、私たちの思いどおりにならないことが多いということを表している言葉なのでしょう。
たしかに、都合の良くない出来事が続いて現れてくる、なにか自分を試されているような時期は、
目にするどんなことも、自分にとって不都合なものを持ってくるような気分になってしまいます。
誰にでもそのような瞬間はあると思います。
でも、思いどおりにならないことばかりだと思い込んで、その先に絶望をイメージすることはしなくていいんです。
この世界で自分の思い通りになることは、自分が想像するよりもかなり少ないのですから。
「大きく行き詰まれば、大きく道が開ける」
(出光佐三)
という言葉があります。
この世界は、自分一人だけで成り立っているわけではなくて、自分と同じように考えて行動する他人という存在と創り上げていくものだから。
その関係性のなかで、一人ひとりがそれぞれの想いを持って、それを擦り合わせていきながら、
せめぎ合ってみたり、お互いがどこかで譲ったりしながら、この社会は出来上がっているんです。
だから、自分の意見のすべてが思いどおりになるということは難しいことで、当たり前のこと。
逆に、自分の意見がすべて通るような一方通行のやり取りのなかでは、建設的なゴールは生まれにくいのかもしれません。
ですから、思いどおりにならないことを、自分の魅力がないことにしなくていいんです。
相手より自分が劣っていると思わなくていいんです。
あなたは自分に自信を持って、自分の価値を疑わずに、「私はこうしたい」を言葉にして伝えてください。
そして、その言葉を聞いた相手から返ってくる「私はこうしたい」を同じように受け取って、あなたの想いや考えがもっといい形になることを目指してください。
(この世界のいろんな関係性のなかに、自分自身の成長があることについて、以前にもこちらの「一人ひとりが持つ違い」のなかでお話をさせていただきましたね)
「柔軟心」(禅語)という言葉があります。
それは、やわらかくて、しなやかで、自由な心のこと。
心から余計な力が抜けた状態で、本当の意味でタフな心のことだと思います。
「こうなってほしい」という期待は、ふくらませすぎると「こうならないといけない」という執着になります。
執着は心を窮屈にして、硬く固まらせてしまうんです。
それでは、自分以外のことに意識を向けられなくなるんです。
誰にでも、そのような経験はあるはず。
私たちは、未来を明るい期待を持ってみる時に、今の自分に納得することをしたり、今の状況を受け入れることもできるから。
でも、今の状況や自分自身については、「こうするしかない」という見方ではなくて、「どうにかなる」というやわらかい心で見てください。
思いどおりにいかないからこそ、どうにかできるんですから。
「人生が、予定通り順調に
うまくいくことなんて絶対にないの。
ありえないことよ。
そうならないように頑張るんでしょ。
だから人生がおもしろくなるんじゃない」
(フジ子・ヘミング)
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