人生の意味を感じる時
自分の命は生きるもの、自分の人生は創るもの
先日、ヒーリング・除霊・占いのセッションを受けに筑後市から来てくださった方と、「人生の意味を感じる」ということについてお話をさせていただきました。
「私の人生の使命ってなんだろう?」
「私は何のために生きているんだろう?」
誰もが時々、このような問いかけを自分にすることがあります。
私がこの問いかけをよく自分に向けていたのは、10代後半の大学に通っていた頃。
それまでの受験勉強に没頭していた日々から開放されて、特にしたいことも見つからない、するべきこともわからない、
退屈な日々をすごしている時に、よくこの問いが頭に思い浮かびました。
今思いだすと、あの頃は自分のこれから向かう先を一生懸命見つけようとしていたんだと思います。
やりたいことをやればいいと言われても、やりたいことが特にない状態の中で、
時間の縛りのない焦りのような、ぼんやりとした不安。
それが、いつも心にあるような気がしていました。
でも、その数年後、お仕事や何かに夢中になって取り組んでいる時には、この問いかけは出てこなかったんです。
このような外に向いている目線を自分に向けるような心の動きは、きっと人生の空白の時間のような時に表れるのでしょう。
(自分自身に意識を向けて、これから進む道を見つけようとすることについて、以前にもこちらの「人生の答えを見る時」のなかでお話しをさせていただきましたね)
「自分で自分の事をどう思うか。
それは他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である」
(セネカ)
という言葉があります。
自分自身に意識を向ける心の動きは、人間以外の動物には見られないそうで、幼い子供さんにもまだ感じらないものなのだそうで、
ある程度、自我ができあがった大人だけが抱くことができるものでもあるそうです。
効率とか生産性とかだけを考えれば、この感覚は私たちに悩むことをさせるようなようなものに思えます。
なにか、踏み出そうとしている一歩を足止めをされるみたいにも感じたりします。
でも、この感覚が心に表れる時は、自分自身と自分の外側の世界が離れている時。
自分と外の世界をつなげようとして起こってくるんです。
何かに夢中になっている時は、いろんな人や物や環境とつながっています。
でも、「特にすることが見つからない」状態の時に、今の自分のいる所や、自分の在り方をもう一度確認して、
これから進む道を見つけようとするために、自分だけの人生の意味を教えようとして、私たちの心は働きかけてくれるんです。
「ひとりでも安心していられるのは、
ひとりじゃないから」
(未詳)
という言葉があります。
人生の意味についてはいろんな解釈がありますが、それは今、一人ひとりがいるところで、与えられている立場でするべきことをすることによって、感じることができるはずです。
人生の意味についてもいろんな定義があります。
自分で自分を主観的に見て自覚することもできますし、自分以外の誰かとつながって影響を与え合うことによって実感することもできるんです。
人間が生きているということは、自分ひとりで完結できる生き方のこと。
でも、人生を生きるということは、誰かと関わりながら達成できるもの。
つまり、自分の命は自分で生きるもの。
自分の人生は誰かと関わりながら創られていくもの。
私もそうして生きていく中で、私の人生の意味を見つけたいと思います。
「互いに助け合わないと
生きていけないところに、
人間最大の弱みがあり、
その弱みゆえに
お互いに助け合うところに、
人間最大の強みがあるのである」
(下村湖人)
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