誰とも比べられない自分
あなたは、あなたという存在でいればいい
先日、筑後市から占い・ヒーリング・除霊のセッションを受けに来てくださった方と、「誰かと比べること」についてお話をさせていただきました。
私たちは、ふだんの生活の中でよく自分と他者を比べることをします。
それは、収入や容姿や学歴とか、持ち物や能力とか、いろんなことについて。
そして、相手より優れていると思うと気持ちが良くなったり、反対に自分の方が劣っているような気がすると落ち込んだりします。
でも、誰かと自分を比べることで得られるのは、自分と誰かの「優越」ではなくて、自分と周りの人の考え方や在り方や価値観が違うことを「受け入れる心」だと思うんです。
人間は心のいちばん深いところでは、他の誰よりも自分のことがいちばん大切だと思っているものだと言われます。
ですから、自分のことだけを見つめていれば、どのような優れているところも、どのような劣っているところも「私の大切なもの」なんです。
そこを自分以外の誰かと比べる時に、優越感とか自己否定が生まれるのでしょう。
そこに幸せや豊かを求めようとしても、見つけることはできないかもしれません。
私たちを満たすものは、自分自身の感じ方なのですから。
(誰とも比べずに、自分を基準にして生きることについて、以前にもこちらの「勝ち負けを超える生き方」のなかでお話しをさせていただきましたね)
「前に進もうとするから、迷い、悩み、感じ、気付き、生まれ、変われるんだ」
(小渕健太郎)
という言葉があります。
時々は、思い込みのような劣等感やコンプレックスに悩むこともあるかもしれません。
でも、完璧な人間はどこにもいないんです。
逆に、自分のよくないところは、よくないところとして一度認めてみること。
そして、それを恥ずかしいとか隠したりとかするのではなくて、どうやって良くしていこうかと考えて行動していく時に、人間としての成長が与えられると思うんです。
「露堂々」(禅語)という言葉があります。
「明らかに表れていて、少しも隠すところがない」という意味の言葉です。
それは、自分のありのままをさらけ出せる人、またそのような自分を認めることができる人のことでもあるのでしょう。
今の自分の姿に焦らずに、調子の良いときにも気取らずに、都合の良くない自分をごまかさずに、ありのままの自分でいればいいんです。
自分の劣っているところを見て、「どうせ私なんか」と開き直ることはありません。
自分に言い訳をすることや、自分の価値を低くすることは、誰かと比較をした時の自分の一方的な見方が創り出すものですから。
あなたはあなたという存在でいればいいんです。
自分を飾れば不自然になったり、威張れば無理をしてしまいます。
人によく思われようと意識すれば、人に疲れてしまいます。
自分以上でもない、自分以下でもない「自分」
その姿をあなたのこれからのスタート地点にしてください。
自分らしく、今よりもっと善く生きる道もあるはずですから。
「人生は決して、あらかじめ定められた、
すなわち、ちゃんとできあがった一冊の本ではない。
各人がそこへ一字一字書いていく白紙の本だ。
生きて行くそのことが
すなわち人生なのだ」
(大杉栄)
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