私たちの幸せの形
幸せとは持つものではなく、感じるもの
先日、うつ・心の病・不登校の方向けのヒーリングを受けに来てくださった方と、「幸せになること」についてお話しをさせていただきました。
何も持たずに生まれてきた私たちは、生きているうちに様々なものを手に入れます。
自分の外側に持つものは、目に見える形の「欲望」であって、内側には目には見えない「幸せ」や「希望」だと言われるように、
内側と外側で違う感じ方をして生きているのが、私たち人間。
内側と外側のバランスを取りながら生きているのが私たち人間なんだろうと思うんです。
「幸せとはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、
さらに目標であることもできません。
それは結果にすぎないのです」
(ヴィクトール・フランクル)
という言葉があります。
私たちは、将来、幸せになることを目指して今を生きていますから、幸せを手いれることを目標にしているもの。
でも、この言葉で説かれているのは、これがしたい、あれがしたい、あれも欲しいという、欲望のままに何かを手に入れようとするよりも、
心に幸福感を持って生きることのほうが大切なこと、ということ。
私たち人間の欲求は限りがありませんから、所有することに幸せを求めていれば、いつまでも満たされることはないのかもしれません。
だから、幸せとは何かを持つことではなくて、心のあり方のことなのでしょう。
自分の在り方や見方次第で、追い求めなくても感じられるようになるのが幸せなのかもしれませんから。
(幸せとは感じるものということについて、以前にもこちらの「幸せは心を満たすこと」の中でお話しをさせていただきましたね)
お金や地位や時間や、誰かに認められることを「欲しい」と強く願い続ける時は、自分に何かが足りないと感じている時ですから、
その気持ちのいちばん深いところには、たぶん強い不安があるんです。
でも、その不安は具体的な解決を明らかにしようとしない、今だけとりあえずの安心を求めたいという気持ちなのかもしれません。
そして、その不安を満たすために「欲しいもの」が必要なのかもしれません。
大切なことは、自分が何を大切にしたいのか、何を優先にしたいのかをわかっていることです。
それが分かっていれば、ぼんやりとした不安を感じることもなくなるはず。
何かを手に入れれば幸せになれると思い込むこともなくなるはずなんです。
自分の思い通りになることと、ならないこともあれば、手に入るものと入らないものもあります。
そのような日常の中で、「変わらない幸せの形」を見ようとする時、自分の外側にあるものは関係の無いものだと分かるようになります。
幸せとは、私たちの心しだい。
目の前のことをどう感じるかで決まるのですから。
「幸福とは
幸福感を持つこと
幸福とは
心が満たされて幸福だと感じる主観的な感覚」
(日野原重明)
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