本当の自由を手にする
自由とは私たちの心の中にあるもの
先日、うつ・こころの病の方、不登校の方へのヒーリングを受けに来られた方と、「すべてのものを善いものとして見ること」についてお話しをさせていただきました。
人生で出会うものすべてが私にとっての学びと気づきとなる「善いもの」
でも、なかなかすぐにはそう思えるようにはなれないものです。
私たちは、一つのことに良いところを見つけるのと同時に、悪いところも見つけるからです。
それが、ものごとや他者や自分自身をはかる「ものさし」なのでしょう。
今、多くの人が自分についても周りのことについても良いところがほとんどないと思っていますが、そうではないのです。
本当は、この世界はポジティブなとらえ方とネガティブなとらえ方のできる世界だということ。
私たちが経験するこの世界を形にしているのは、私たちのとらえ方なのです。
だから、どのような視点で見るかによって、今とはまったく違う世界に住むこともできるのです。

その時に大切なことは、ポジティブしか見ないとらえ方でいないこと。
この世界は、ひとつの事に二つの見方のできる二極の世界だから、比較をすることで気づかされることもあるのです。
悪を見ることで自分の内にある善を意識できるようになったり、
ポジティブに行動した先に、それまでの自分の進んできた道を静かに振り返ることは、ある意味、ネガティブでもありますから。
だから、比較をするということは、悩むことをさせることでもあって、私たちの心を成長させてくれることでもあるのです。
そして、特定のものだけしか見ないということもさせませんから、比較をできるということは「自由」を手にしているということでもあるのでしょう。
(自由を手にするということについて、以前にもこちらの「真の自由へ至るには」の中でお話をさせていただきましたね)

その自由とは、これから目指す姿に向かうまで、どのような過程を経験してもいいということや、
いろんな人が一人ひとり、自分を表現しながら生きていることにも、本当は良いとか悪いの区別もないということに気づかせてくれる自由のこと。
その自由は、私たちに恐れることを忘れさせてくれます。
そして、思っていたよりもずっと少ない条件で、もっとたくさんのことができることにも気づかせてくれます。
これから自分の先入観を超えた見方ができるようにもさせてくれます。
それは、ものごとにも周りの人についてもです。
本当は、他者との間に距離をおけば執着や悩みがなくなるのではなくて、自分が心を開いて受け入れることだけでよかったのです。
相手にとっても自分にとっても良いことを望むのなら、相手も自分も自由でいることもできるはず。
人生のどのような状況の中でも、私たちはこのような自由を感じることができます。
自由とは、私たちの心のなかにあるものですから。
「私の人生は楽しくなかった。
だから私は自分の人生を創造したの」
(ココ・シャネル)
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