心と心の距離感
信頼という、新しい愛情の形
私たちは自分自身について、他者から見てどのような存在なのかを知りたいと思うものですが、同じように他者についても理解をしたいと思うものです。
その人が自分にとって大切な人であればあるほど、心の中にあることや、行動の理由を知りたいと思ってしまいますが、
他者を100%理解することは、常にいろんなことに考えを巡らせる自分の思考をとらえることのできないように、他者についてもなかなか難しいことです。
たしかに、友達や夫婦や恋人やお仕事の同僚など、いろんな関係の中で相手を理解しようとすることは素敵なことですし、嬉しいことです。
相手のことを知りたいと思う気持ちは愛情でもありますから、「理解できない」ということは愛情の反対にあるもののような気もしますが、相手を理解することだけが愛情ではないのです。
そこには「信頼」という新しい愛情の形があるからです。
私たちの親しさというのは、どれだけ心を開放しているかが大切なことですが、お互いの性格や感性や人間感という独自性を認め合う時にも強く感じることができるのです。
その人のすべてを見ることができなくても、察するということをして私たちは相手を受け入れることができるからです。
そして、お互いが知らない部分、理解し合えていない部分があることは、二人の関係を新しくさせてくれます。
お互いの中に新しいものが見つけられるからです。
だから、自分の見せたくないところを隠していたり、相手に向けて閉ざしているところがあるとしても、そのままの自分を受け入れてくれる人との間には愛が成立するのです。
そして、自分の弱さも含めたすべてを見せる時に、さらにその愛は強くされるのです。
「人間は本来、悪を抱えて生きている」という浄土真宗の宗祖の親鸞上人の言葉で考えてみるのなら、
近すぎる人間関係の中には人間の悪の部分が出てくるものなのかもしれません。
それならば、遠くからお互いのこと想いながら見守るような付き合いの形も善いものなのではないでしょうか。
相手を想う気持ちがあって、向こうも私を想ってくれていると感じられるなら、身体の近さは重要ではないのかもしれません。
インターネットやSNSを通して、今までの人間関係とはまた違う、新しい形のつながりが生まれている中で、
相手のことを大切に想うからこその、心と心の距離感を私も大切にしたいと思います。
「優しい言葉をかければ信頼が生まれる。
相手の身になって考えれば結びつきが生まれる。
相手の身になって与えれば愛が芽生える」
(老子)
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