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朝焼けの景色を見つめる人

先日、福岡市からヒーリング・除霊を来られた方とお話をさせていただくなかで、「豊かさ」についてお話しをさせていただきました。

私たちは、豊かさを求めることが、幸せや平和につながると信じて求めて生きています。

それは、向上心や、経験による成長を求める生き方なのかもしれません。

でも、ほんとうに幸せに平和に生きるために必要なこととは、何でしょうか?

この世的な物質的な観点から考えれば限界がありますが、私たちはとても幸せです。

内なる心の幸せや平和は、考え方ひとつで変えられるのです。

「豊かな暮らしとは、丁寧に生きること」(花森安治)
という言葉があります。

現在の私たちの生活は、手間ひまをかなり排除して、とても便利になりました。

でも、その反面、生活の潤いや温もりも感じられなくなったこともあります。

今になって思えば、豊かに生きるためには、きっと丁寧な生き方を心がけることなのでしょう。

そのような生き方をとおして、人と人との絆に活気がみなぎるのだと思うのです。

仏教に「一掃除 二信心」という教えがあります。

身の回りを清めることが大事であるという意味の言葉なのですが、それはこの世の欲望にとらわれないということ。

それらのものは、私たちのほんの一部しか満たすことはできないものだから、

ほんとうに心を満たされるということは、いかに魂の喜びを知っている生活をするかということなのです。

同じようなニュアンスで、哲学者のニーチェさんがこの言葉を残しています。

「清潔が幸福につながる」(ニーチェ)

昔の日本人の欲望は、今と比べるとずっと小さく、生活が清潔で、多くの人々が清貧の思想に貫かれて、キリスト教の布教に来た宣教師たちが、その姿に感嘆したそうです。

肉体を満たすことは、その時だけの喜びであって、それは一過性のものにすぎない。

永続的な充実感は、欲を満たすことでは得られない。

満たされない心を、欲によって癒すことはできない。

私たちは、肉体が自由ではなくても、心が満たされることがあるのです。

物理的なことと精神的なことがつながる不思議を「心身一如」といいます。

清潔さを好む生き方は、自然と良い品性を身に付けること。

身体も心も清潔に生きるという生き方は、人の生き方としては幸福な生活なのでしょう。

「叶うはよし、叶いたがるは悪し」(千利休)
という言葉があります。

「願いが叶うのはいいことだけれど、叶って欲しいと願うのはよくない」という意味の言葉です。

夢や希望や願望は、「求めるもの」ではなく、淡々と、日々を懸命に生きるなかで「いつのまにか叶うもの」だと美しいということなのでしょう。

人間は心が焦ると、どんどん自分の心が汚れていくもの。

崇高な決意から始まったお仕事も、ビジネスの世界に変わり、損得で考え、お金儲けをしようともくろむようになると、心の純粋さもなく、傲慢な気持ちが出てきます。

でも、いつでも純粋な気持ちと、情熱的な初期衝動が、あなたの進むべき道を示してくれる。

そして、あなたを力強く在るようにさせてくれるのです。

それは、何もやらないでいいというわけではなく、他者を蹴落とすことも必要としないのです。

ただ、あなたは自分自身を輝かせるために、それにふさわしい努力をすればいい。

どうせうまくいくと過信するのではなく、ちょっとものごとがうまくいったときも、調子に乗って、成すべき基本を忘れてしまうのではなく、

目立たずに、地味なことを、毎日続けること。

タイミングが良くても悪くても、やるべきことをくり返すこと。

すると、いつの日か、それは豊かさと言う姿になるはずです。

豊かさとは、丁寧で地道な努力という姿から、あなたの前に現れるから。

それが、あなたが輝くための、もっとも確実でたしかな道なのです。

「生活のレベルが少し下がっても、心の豊かさがもう一段だけ向上すれば、失うものは何もない。
 魂が必要としているものを購入するのに、金銭など必要ないのである」
 (ヘンリー・D・ソロー)

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