人間としての成熟
すべての経験は、私を成熟させるもの
どれだけ時間をかけても、どれだけ努力をしても、その先に思い通りの結果がいつも待っているのではないということを、誰もが経験したことがあります。
人生ではそうしたこともありますが、でも理想を目指すことに意味がないということにはならないのです。
何かの目標を持って、その達成を目指して進む姿は、人間として美しい姿だと私は思うからです。
今、夢中になって取り組んでいるものが、うまくいくかどうか約束されていないという状況のなかで、一つ、自分自身に尋ねてみるべきことがあります。
それは、自分を支えるものを持っているかということ。
つまり、成功と失敗だけで測るのではなく、自分自身の人間としての成熟を意識しているかということ。
「自ら精神的に成長し、人々の成長にも協力せよ。
それが人生を生きることである」
(トルストイ)
という言葉があります。
人生の出来事を成功と失敗だけで分けてとらえると、失敗に直面した時に私たちの心はくじけてしまいます。
でも、成熟を意識することで、その目標が達成できても、何かの出来事によって達成できなくても、心の姿勢が自分の人生に真っすぐに向けられていて、私たちは人間として成熟していくことができる。
何があるとしても、そのたびに私は成熟させられるのです。
それを学びの機会にして、いつかはきっと成功をつかむこともできるはずです。
その時に大切なことは、自分の失敗や過ちを認めるということ。
私たちが気持ちよく自分の非を認めることができないのは、自分にもそれなりの言い分というものがあるからなのですが、
その根底には、自分の地位や名誉や財産や立場を失うことを恐れている気持ちがあるからなのです。
でも、そういった地位や名誉はずっと変わらずに持ち続けるこのとできないものであって、だんだんと変化をしていくものですから、
そこに気持ちを強く向けることは心が穏やかになるのを妨げることだと思うのです。
大切なことは、私が失いたくないと思っているものは何なのかを見直すこと。
それがあなたの心の中で不安定なものだったなら、失うことをそれほど恐れることもないのです。
私たちが与えられている時間とエネルギーを、どのように使うべきなのかということについて、完璧な答えはありません。
「絶対にあるはず」「いやそんなものはない」と考え出すと頭の中で判断が始まって、その判断自体がもうとらわれていることになってしまいます。
どれだけ考えても答えの見つけられないものは、そのままにしていいのです。
それを体験していくうちに、悟ることで理解ができるようになりますから。
「両忘すれば常に心は静寂の境地となり、
自然に真理と一体となることができる」
(宝誌禅師)
という言葉があります。
禅に「両忘」という教えがあります。
それは、一つのことについて対立する二つのものを比べてあれこれ考えないことから生まれる、平等で自由な視点の境地のこと。
行動を起こして体験をする時、私たちは「やるべきか、やらないべきか」「得か、損か」という迷いの中にいます。
でも、まずは「これはこういうものだ」というレッテルを貼らずに、あるがままを受け取っていいのです。
目の前にあるお仕事や出来事、それ自体には得や損はありません。
それに価値をつけるのは、あなた自身だからです。
だから、思い切ってとらわれている考え方を忘れて、もっと楽に、自由に取り組んでいきましょう。
「これから君は、こんな人間だと思い描いている自分の姿と、
なれるかもしれない自分の姿の間を旅することになるだろう。
いちばん重要なのは、君自身がその旅をすることだ」
(映画「プリティ・プリンセス」より)
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