思いやりとは
他者の気持ちにも、自分の心にも寄り添う大切さ
「おもてなし」という、日本独特の心のこもった接し方があります。
東京オリンピック誘致のプレゼンテーションで使われたりして、とても話題にもなりました。
おもてなしとは、表裏のない心で接することであったり、相手の表情や態度から本当の気持ちを察することから生まれる、相手を思いやる行為のこと。
私たちは言葉を送ったり、受け取ったりしながら、自分の気持を伝え合っていますが、言葉では言い表すことのできない気持ちもあります。
言葉に出さないとわからないこともあるかもしれませんが、言葉よりも大切なものがあります。
それは、相手の言葉の裏にある気落ちを思ってみること。
言葉に寄り添ってあげることではなく、気持ちに寄り添ってあげること。
それを「思いやり」と呼びます。
思いやりという言葉から頭に浮かぶイメージは、人に優しくすることや、人の意見や存在を認めること、人にそっと寄り添うことなど、自分から他者に向けてのもの。
でも、本当は自分に向けて思いやることもセルフ・コンパッションと呼ばれるように、同じく「思いやり」ととらえられています。
まず、自分自身に対して思いやりを向けていくことで、自分だけではなく、他者についても思いやりを強くすることができます。
自分と他者の境界線がだんだんと薄くなっていく調和の時代の中では、自分を思いやることも、他者を思いやることも繋がっていているからです。
いつも外に向けられているあなたの目線を、自分の内に向けること。
今、自分はどういう状態なのか、
どのような気持ちなのか、
そのような感情や心の動きを感じてみることが、自分を思いやることです。
それは、過去や未来ではなく、今この瞬間に意識を向けること。
良いとか悪いなどの判断や区別をすてて、そのまま受け入れること。
「人とつきあうのに秘訣があるとすれば、それはまずこちらが相手を好きになってしまうことではないでしょうか」
(瀬戸内寂聴)
という言葉があります。
私たちは、年齢や職業や能力や容姿といった違いから、関係性を深めることの難しい人を区別することがあります。
でも、それは表面的なものですから、深く内面まで見てみれば、その人も自分と同じようなことで喜んでいたり、ストレスを感じていたりするものです。
それが、私たち人間が同じように備えている共通性なのでしょう。
誰もが自分と同じように感じるものだと分かれば、新しい関係性を築くこともできます。
自分だけだと思いこんでいた悩みを、他者のなかにも見つけることができたり、お互いに打ち明ける時に安心できたこともあったはずです。
その時に自分の中にあるネガティブを乗り越えることもできるのでしょう。
そして、自分を低くとらえることや、自分を責めることもやめていくことで、他者を責める「批判」の習慣もだんだんと減っていくのです。
自分についても、他者についても、思いやりの目を向けることで、
良いところも悪いところもバランスよく見てみることで、もっと深く知ることもできますから。
「すべての人は一つである。
一緒であるということを経験する、
大きな意識を経験できるということ、
それで信頼や人間関係を深めて孤独感がなくなる」
(ピョートル・フェリクス・グジバジ)
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