時間という感覚
時間の長さをコントロールするような生き方とは
先日の2月1日、ギタリストの布袋寅泰さんが60歳になられたそうで、「夢見る還暦でいたい」という素敵なメッセージを話されていました。
私もずっと昔から布袋寅泰さんの曲を聞いていますが、ずっと変わらずにアクティブに表現を続けてこられているお姿に勇気をもらいます。
時間を通して、私たちの身体が生み出す年齢や経験というものは、自分の内に積んでいく大切なものに気づかせてくれます。
私も、楽しんで歳を重ねていきたいと思います。
「たいていの人はほんとうになにがほしいのか、心の中でわかっています。
人生の目標を教えてくれるのは直感だけ。
ただ、それに耳を傾けない人が多すぎるのです」
(バーバラ・ブラハム)
という言葉があります。
現代を生きる私たちは、時間に追われるような感覚のなかで生活をしています。
忙しい毎日の中でふと、このまま私の人生はあっという間に過ぎてしまうのだろうかという気持ちになることもあるかもしれません。
それは、自分に与えられた時間をムダなく有効に使おうとして、目に見えない時間というものを目に見える形としてとらえているからなのでしょう。
楽しい時間は充実して短くて、楽しくない時間は平坦で長く感じるように、本当は、時間というものは誰にとっても同じようには流れていかないものです。
例えば、美しい自然のなかや、新しい価値観に触れて、今、自分が生きていることに思いを向ける時、清々しい気持ちになることがあります。
その時の時間は、あなたの中だけで永くされて、過去も未来もなくなって、4次元のようなものになる感覚です。
このような、今までの時間の進み方を忘れるような主観的な感覚も、私たちに与えられているのです。
だから、私たちにとって、自由とは主観的になることでもあるのでしょう。
私たちは、誰にも同じように認識できる時間をその通りに生きていますが、本当は、いつも充実した時間をすごして、自分が生きていることを実感したいはずですから。
「どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ。
それは、自分自身で見つけるのだから」
(ボブ・マーリー)
という言葉があります。
本来の目的を忘れて、その過程に夢中になることで、思い描いていた良い結果を結果的に引き寄せたことを誰もが経験したことがあると思います。
いい結果の姿を求めて、目的だけを見てやるべき事をやっている時、実は「今この瞬間」に集中できていないこともあるのでしょう。
結果はどうあっても、無欲でその時その時を楽しんでいく、という人にこそ、自然と結果がついてくるのでしょう。
だから、結果とは精一杯に楽しんで続けてきたことについてくるものなのでしょう。
そのように生きている人に、人生も最高のものを用意してくれるはずですから。
頭の中にある理想や目的は、保証のされていないことだと捉えれば、今の自分自身の在り方がそのまま目的でもあるという考え方も生まれます。
今この瞬間に夢中になって生きることは、先のことを計画していない生き方にも思えますが、周りからは生き生きと輝いて見えるのです。
その姿勢から、新しい展開の生まれる可能性も見えてくる。
すべては「今ここ」に存在しています。
過去の私も未来の私も、今ここにあって、今の私がその両方に影響を与えながら生きているのです。
今をどう生きるかによって、今の私からは想像もできないような未来の私を創ることこともできるし、どう認識するかによって過去の私も変えることができるのです。
心配することはないのです。
何が起きるとしても大丈夫だと安心することができれば、ただ今を生きればいいのです。
大切なことは、日々、やりたいことをやるということ。
今日一日を精一杯に生きるあなたには、明日も、明後日も、続いていくものを手に入れることができるはずですから。
「ほんとうはどんな人間なのか。
それを決めるのは、能力ではない。
どういう選択を積み重ねていくかだ」
(映画「ハリー・ポッターと秘密の部屋」より)
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