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朝日に祈りを捧げる人

宿命は変えることはできなくても、運命は自ら変えることができるもの

私たち人間のひとり一人の一生には、あらかじめ「定められた道」というものがあるそうです。

それを「宿命」と「運命」といいます。

宿命は変えることはできないが、運命は変えることができる、というものです。

人生の所々で起こるポジティブな出来事、ネガティブな出来事のタイミングなどを、私たちはこの世界に生まれてくる前に自ら設定していると言われますが、これを「宿命」ととらえるのだろうと思います。

そして、その出来事の度合いを変えること、例えば、自動販売機でジュースを買って当たりが出ることと、宝くじで当選することを、自らの人生の歩み方によって変換できることを「運命」と呼ぶのでしょう。

ですから、誰の進む道にも、本当の豊かさは用意されているのです。

でもそれは、あなたが望んで、信じる心を持って、言葉に出して行動することによって現実として現れるもの。

私たちの願いや要求が、どんなに小さくても大きくても、いつも実現される用意はできているのです。

大切なことは、最初の一歩を踏み出すことなのです。

「人生最高の幸福は富でも名誉でもありません。
 自分のしたいことを見つけ、取り組むことです。
 人はそれを『生きがい』と呼んでいます」
 (ジョセフ・マーフィー)

という言葉があります。

誰もが同じように思う「正解」は、人生にはありません。

人生には、正解も不正解もなければ、良いとか悪いという捉え方も人それぞれなのです。

ただ、私はこのように生きたという結果だけのことなのです。

でも、一生をどのように生きてもその人の自由だと考えるなら、弱肉強食の人生も、利己的な損得を計算する人生も、何もする気がしない人生も、すべてが許されることになります。

もちろん、どんな人生も許されるのですが、自分はどのような人生を「正しい」とするのか。

つまり、あなたがどんな人生が好きなのか、嫌いなのかということなのです。

新約聖書に、このような一節があります。

「求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。
 探しなさい。そうすれば見つけるであろう。
 門を叩きなさい。そうすれば開かれるであろう」
 (新約聖書 マタイによる福音書7章7節)

私たちの持つ、高い理想や心からの願いと現状の自分との間にあるものは、疑いと恐れなのです。

疑いと恐れは、信じる心の対極にあるもの。

だから、心に疑いと恐れがある時は、悪い未来を信じていることになるのです。

でも、静かに今までを思い出してほしいのです。

疑ったことや心配したすべてのことが、そのままあなたの前に現れてきたのかどうか。

それはただ、思わしくない結果になってしまった時の、自分の心を軽くするためのおまじないではなかったのではないでしょうか。

あなたの理想や願いを現実にするためには、自分にとってのポジティブとネガティブをはっきりと見ること。

そして、これからの人生は必ず、私にとって善い方へ向かうという強い確信を持つこと。

絶対的にあなたの人生を味方してくれる存在が一人います。

それは、自分自身なのです。

つらい時も、嬉しい時も、ずっと一緒にいてくれた存在は自分自身ですから。

あなたの人生について、いちばん真剣に考えてくれたのは、親や兄弟よりもあなた自身だったはず。

そして、これからもそう。

あなたの人生は、他の誰のものでもなく、あなたのものですから。

だから、あなたの人生の持ち主であるあなたが、あなた自身を否定する必要はないのです。

もっと自分を好きになって、自分を認めてあげて、自分に感謝をしていい。

これからも長く続いていく人生の舵は、あなたがとっていくのですから。

「人間一人ひとりがもう少し『誇り高く』生きることが大切ではないでしょうか。
大きな花、豪華な姿で咲き誇る花を羨み、自らを卑下することなく、『小さきは小さく咲かん』という健気さとプライドを持って生きること。
それはまた、他人にもその人なりの、その人にしか咲かせることのできない花を咲かせようとする姿でもあります」
(渡辺和子)

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