すべては完璧であること
すべてが完璧であるこの世界は、あなたの魂の成長のためのもの
先日、福岡市のヒーラーのお友達と、人生で起こる出来事について、いろいろな視点からお話をさせていただきました。
私たちが日々、出会う出来事には原因と結果があると言われています。
その結果について、良い出来事には自分の運や実力を確信したり、悪い出来事には自分の運のなさや他者の責任を探したりと、
その原因について考えこむことがありますが、でも、人生には常にあなたにとって一番善いことが起こっているのです。
人生は、良いことも悪い事もことも自分が引き寄せていると気づけば、どんな事にも感謝ができるようになります。
ですから、目の前の出来事からたくさん学んでください。
どんなことにも、原因は自分から起こるものという視点を持つことで、あなたは今よりもっとエネルギーにあふれた生き方ができるはずです。
「あなたが想像できることは、すべて現実なのだ」
(パブロ・ピカソ)
という言葉があります。
人生において、私にとって一番ふさわしい事が、今目の前に起きていると思えるようになれば、あなたの人生はこれから明るく開かれていきます。
これからの時代は、自分の人生を自分で選択する、自分で創り出す、自分で責任をとる、という生き方に気づくための時代ですから。
だから、自分にとって不都合なことが起きるのは社会や他社のせいだと思っているうちは、自分の本当の力は発揮されないのです。
予想していなかった嬉しい出来事も、避けることのできなかった問題も、自分が引き寄せたものと思えば、すべてはあなたの成長のためのものなのです。
この境地にたどり着いた時、あなたの人生にはマイナスだと「思える」出来事は起こらなくなります。
あなたのなかに、良い事と悪い事という概念がなくなるからです。
そうなれば、あとは起きてくる出来事を楽しめるようになります。
あなたが学ぶために必要とする問題だけを選んで、楽しんで引き寄せていくようになるのです。
「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである」
(バーナード・ショー)
という言葉があります。
人間は年を重ねると、だんだんと信心深くなるものなのかもしれません。
でも、それは宗教などの教えを知識として信じることではなく、自分自身のなかにある神性を信じるということ。
自分にとっての神様を信じるように、自分を信じるということ。
つまり、自分を大切にすることが信心深いということ。
この世界のいろんな場所や物に神様が存在していると気づけば、自分のなかにも神様を見つけることができます。
そして、私たち人間は神様に似せて創られた、神様の分身であり、神様と同じ創造主でもあるのです。
だから、自分で自分の世界を創っていくこともできます。
そして、すべては完璧に創られていることにも気づきます。
もし今、あなたが問題に直面していて、そう思うことができないのでしたら、ただ「あなたの思う通りになっていない」だけなのです。
大切な事は、目にするどのような事にも、この世の損得や自分の欲というフィルターをもって捉えないこと。
完璧にされているこの世界におけるすべては、あなたにとって善い方へ向かうためのものですから。
「成功者になろうとするな。価値ある者になろうとせよ」
(アルバート・アインシュタイン)
という言葉があります。
自分の人生を自ら創り出すということは、一日一日、自分の生き方を意識して生きていくということです。
でも、そのような意識を持たなくても、受動的に今日一日はやってきて過ぎていく、と考えている人が多いのかもしれません。
毎日、同じサイクルの繰り返しが人生だとしている人も多いのかもしれません。
確かに、それは何の疑問も必要なく、危険も少ない、安全な生き方なのでしょう。
そのような生き方も正しいと思います。
でも、あなたの中で、満たされていない気持ちが少しでもあるのなら、変化の方へ人生の舵をとってみませんか?
ひょっとしたら、その変化の方は不安定な道なのかもしれません。
でも、誰もがもう気づいているように、現実の人生に安定というものはありません。
不安定で波があるのが人生であって、そこに人間が生きることの本質があるはずです。
ニーチェさんは「Werden」(生成)という言葉で、人生で人や物事が何かに変化すること、成長すること、態度を変えていくことをとらえました。
私たちが生きていることも、その「生成」ととらえれば、日々のいろんな思考や行動は、停滞や維持ではない、先に向かう動的なものであるように思えるのです。
それが、本当の現実なのかもしれません。
明らかにされている未来などはないのです。
すべては、すでにあなたの頭のなかで描かれていて、手の内に握られているから、
今日一日を、自分の命を自分の目指すところに向かって、自分の意志と選択で創造していくこと。
それが、私たち人間の一生なのでしょう。
「生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです」
(瀬戸内寂聴)
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