試練に出会う意味
試練が、あなたのなかの新しい世界を呼び出すということ
ヒーリング・除霊のセッションを受けに来られた方とお話しをさせていただくなかで、今、直面されているお悩みについてのご相談をいただくことがあります。
私たちは、順境の時もそうですが、逆境の時も、人間が試されます。
その時に、心を乱すことなく、どれだけ平常心でいられるかどうか。
仏教では、この世界を「すべてが瞬間ごとに変化していること(無常)」「すべてがつながっていること(縁起)」と表されています。
そのなかで、私たちは程度は違っても、人生の所々で試練と遭遇する事実は、どのようなものであっても受け入れること。
その状況下で、日々生活していくことが私たちの試練であるのですから。
「ひとつの出来事は、われわれの中に住む、全く気づかなかった別人を目覚めさせる。
生きる事は、ゆっくり生まれることである。」
(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)
という言葉があります。
私たちには、様々な感情があって、そのなかのもっとも基本的な感情とは、生きていたいという存在欲なのです。
だから、私たちは、生きることを邪魔をする物事に対して、怒りや不安や恐怖を感じるのでしょう。
それは、うまくいかない状態や、うまく生きられない状況に対しても感じるのです。
でも、予想できなかった出来事に出会うことで、自分の中にある新しい世界を発見させることがあります。
そうとらえれば、試練の本質とは、あなたに新しい価値観を伝えることなのでしょう。
大切なことは、恐れずにあなたのその苦しみの姿を見つめることです。
人間は、健康で恐れるものが少ない時にも学びはありますが、健康に自信を失ってから、もっと深く人生について学びを得ていることがあるのです。
だから、いつも苦しみの姿をしっかりと見ていくこと。
そのなかから、本当の自分を発見することが、あなたを日々、変えていくからです。
逃げ出したくなるあなたを立ち止まらせて、困難と対面させる力も、そこから生まれているのだと思うのです。
事実はそのまま受け入れることで、最善の道が見えてきます。
事実は変わらないのですから、いったん受け入れること。
それは、あなた自身が覚悟を決めることでもあります。
人生には、いろんなマイナスに思えることが起こりますが、それをどうとらえるかはあなたの心。
現象は現象として受け止めて、あなたにとっての最善の道へ踏み出していくことです。
目の前に、何があっても自分は自分。
それは、自分を信頼することです。
人間は真理に近づいてくると、自分のことがわかってくるのか、自分にふさわしい道が見えてきます。
そして、自然にも、強制的にも、その方向へ導かれることがあります。
その時、今までの社会的な立場や考え方から判断すれば、不安になることもあります。
でも、あなたはあなたのしたいことをするために生まれてきています。
だから、あなたはただ、本来の自分自身になればいいだけなのです。
必要なものは、神さまがあなたに下している直感。
その直感を信じて進む道の先には、あなたにふさわしい役割が待っているはずです。
それを、天命というのです。
「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」(新約聖書 詩編119章71節)
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