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ハートのハンドサイン

私がヒーリングから学んだ、心の平和は魂の本質であるということ

私は、ヒーリングをとおして、今までたくさんの方とご縁をいただいてきました。

ヒーリング・除霊のセッションを受けに来てくださる方や、SNSで知り合うことができたヒーラーさん、私に興味をもってお話しをしてくださる方など、今もとてもたくさんの方々と交流させていただいています。

私がここまで続けることができたのは、自分で始めたヒーリングの価値を見失わなかったから。

そして、私が取り組んでいるこのヒーリングは、少しでも人の心の荒みをなくして、おだやかな気持ちにすることに役立っていると確信していたから、続けてこられたのだと思います。

ヒーリングをしていなければ、体験できないこともありました。

それは、今生きていること、いつかは死ぬこと、心があたためられること、誰かとつながっていくこと、

そういうことを丁寧に見つめて、自分のなかで一つにしていくこと。

このヒーリングという利他業を通して、今世でどこまで私の魂を成長させることができるのか、

そこに、私が今ここに生きている意義を見ています。

「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
 けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私にはわかりません。
 この二つのことで、板挟みの状態です」
(新約聖書 フィリピの信徒への手紙1章21~25節)

この言葉は、新約聖書のなかのパウロさんの言葉なのですが、この文章から、パウロさんもこの世界を二つの視点で見ていたように思えるのです。

この世界は、楽しくて、死んでしまったら惜しいと思わせる場所でもあり、その逆にもとらえることができます。

もしかしたら、この世界はいい所ではないのかもしれません。

希望も失うこともありましたから。

ヒーラーとは、希望を持たせる職業だと思われているから、マイナスなことは言うべきではないのかもしれませんが、

でも、絶望が私に光を見つけさせて、全く違う生き方を与えてくれることもありました。

来るかもしれない不幸に、神経質になっていたこともありました。

でも、目の前の問題をひとつ一つ克服していくなかで、いつの間にか、私を不安にさせていた不幸は消えていました。

振り返れば、幸福もいいものですが、不幸もいいものだと思えるのです。

不幸は現実に対する執着から私を自由にしてくれましたから。

あなたに起こることを、恐れずに、すべて起こらせること。

損得でとらえず、感情でとらえず。

そうして受け入れることが学びの姿勢なのでしょう。

人生で経験することのすべては、あなたを磨くためのものなのです。

「この世界を平和にしたいと思ったら、目を閉じるだけでよかった」(サン=テグジュペリ)
という言葉があります。

私たちは、多くのことを望んで努力もしてきましたが、必ずしもそれを手にしてきたたわけではなかったはずです。

物質だけで生きるのではない私たちにとって本当に大切なこと、それは感謝すること、与えること。

そして、私と他者の平和を願うこと。

生きていれば、様々な出来事にあい、不公平を感じることもあります。

でも、ここは平和な世界だから、私たちはいろいろな好きなことをすることができるのです。

そして、心の平和とは、出来事も他者も自分もそのままですべて赦して、受け入れる時に感じるもの。

だから、平和とは現実には目にすることが難しい、心の中にあるもの。

でも、今のあなたと同じ心を、どんな時も、誰もの心にあるようになれば、その光景を現実にすることはできるのではないでしょうか。

平和とは、私たちの魂の本質でもあるのですから。

「努めて物事を見ること。
 努めて物事を想像すること。
 前者は‘’目を開けて見よ‘’、
 後者は‘’目を閉じよ‘’
 ということだ」
(映画「アワーミュージック」より)

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