幸せの基準
幸せとは、あなたの感受性と価値観で選ぶもの
先日、福岡市からヒーリング・除霊を受けに来られた方と、幸せの基準について、お話をさせていただきました。
「人間にとって、幸福とは何か?」
「幸福であるためには、どのような生き方をするべきなのか?」
様々な哲学や思想や宗教においても、幸福のとらえ方が表されているように、これは、私たち人間にとっての永遠のテーマなのでしょう。
この世界には、仕事・お金・愛情・生活など、様々なものが幸せの基準として存在します。
身体的・精神的・社会的に満たされた生活を送ることが、本質的な幸せにつながっていくという根本的な原理があるなかで、私たちひとり一人の、異なる価値観と感受性が、目にするものの中から幸せの基準を選んでいくのです。
幸福の定義について、「幸福学」を研究されている慶應義塾大学の前野隆司教授によると、人間の幸福は4つの要素で決まるそうです。
「やってみよう!」 自己実現と成長
「ありがとう!」 つながりと感謝
「なんとかなる!」 前向きと楽観
「自分らしく!」 独立とマイペース
不幸がどういうものかをわかっていれば、不幸になる人はいません。
つまり、幸福がどういうものかをわかっていれば、誰もが幸福になれるのです。
私たちは、幸せになることが生きる意味だと思っていますが、それは幸福や不幸についての意見をもっているということ。
ですから、本当の意味で、何が幸せなのか、何が不幸なのかは、わからないでしょう。
私が想う、幸せな人とは、長く歳を重ねた人ではなく、人生を楽しんだ人のことです。
その楽しみとは、時間も忘れるほど没頭して、頭で考えだしたらやめられないぐらいのもの。
自分が幸福かどうか問いかけている間は、まだ幸福ではありません。
幸福という概念が気にならなくなった時、物事が起こるままに起こり、きっとそれがまったく自然の道理に見えてくるはずです。
「どんな小さな努力でも、それをすることで、無限の結果が生まれてくる」(E・アラン)
小さな意識の変化が、人生を大きく変えることもあるように、小さいものを大切にすると生きているのが楽しくなるものです。
大切なことは、小さな悦びをできるだけ大きく感じることができるか。
ちょっとした風景の変化や人の好意にも感謝できる心は、余裕があって、大きな困難を小さく受け止めることもできるのです。
私たちの心は、外からの困難から自分を守ろうとして固くなったり、動じることを避けようとして冷たくなっています。
逆に、柔らかくあたたかい心というのは、自分を守る必要のない、安心している心です。
でも、それは煩悩や目に見える苦労がなくなるということではなく、私たちの自己中心的な自我が溶けていくということ。
それは、自分に意識を向けることや、自分を信じることによる信心を持つことで、凍りついた心が溶かされていく現象なのでしょう。
自分を守る必要もなく、安心している心から、幸福が生まれます。
その時、他者に良く思われようとすることも、人に負けないという心も消えて、あなた自身の意志に従う選択ができるようになるはずです。
「無事是貴人(ぶじこれきじん)」
という言葉があります。
今日一日を生きられたことが幸せで貴いという言葉です。
私たちは、豊かさ、健康、平和、日々の食料、誠実、家族、自由を願い、生きています。
幸せというと、私たちは財を成すとか成功するとか、多くのことを求めてしまいますが、そうではなく、この「無事」こそが幸せなのです。
そのことを忘れないようにしたい。
最終的に行き着くところは、「幸福」について不満を感じるのか、満足を感じるのか、という境地。
この境地に満足することができた時、私たちは足るを知る、心豊かな世界に生きられるのでしょう。
限りあるものがあっても、すべての人が足るを知る心で、ささやかな暮らしに満足するならば、永遠に失われることはないのです。
今、私たちが悩み苦しみながらも生きる理由は、そこに到達するためのきっかけなのでしょう。
「人生の幸福にとっては、我々のあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである」
(ショーペンハウアー)
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