「視点」を変えること
私がヒーリングを行っています、福岡県久留米市の「神気ヒーリングサロン」のオーナーであり、私の妻である岡野里沙が、昨日から、このホームページ内でブログの投稿を始めました。
私とはまたニュアンスの異なる、素敵な文章で発信をされています。
どうぞ、ご一読をされてみてください。
よろしくお願いいたします。
みなさんに私たちのブログを読んでいただいて、気づいてほしいことは、表現が違っていても伝えたいことは同じであるということ。
私と妻もそうですが、すべてのスピリチュアルやヒーリング・癒しの発信をされている方の目指すところ、
つまりこの世界の真理とは、私だけが知っていることではなく、誰が話されても、どのような表現をもってしても最終的に同じなのです。
そのようなことを、これからも私たちは伝えていきたいと思います。
どのような心の持ち方をすれば、人生を肯定的、前向きに生きていけるか。
視野に入らないもの、目に見えないものをなかなか信じることができない私たちは、それを求めて自分探しをしたり、旅に出たりします。
でも、目にする世界がどれだけ変わっても、自分のものの見方、考え方が変わっていなければ、理想の自分へとつながっていくことは難しいのです。
つまり、あなたの喜びや悲しみをつくっているのは、あなたのものの見方と考え方。
だから、あなたはどんな問題も解決できる、独創的な新しい方法を思いつく。
新しい可能性を手に入れられれば、豊かに、広く生きることができる。
その新しい可能性は、あなたが「視点を変えること」で手に入るのです。
自分の視点が変わると、また違った世界が見えてくるものです。
詩人であり、画家である星野富弘さんの詩集のなかに、とても素晴らしいお話があります。
視点を変えることで、人間はこれほど美しい感性を授かることができることを、私は教えていただきました。
その一部を紹介させてください。
「人も皆、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。
美しく鳴らし続ける人もいるだろうし、
閉ざした心の奥に、押さえこんでしまっている人もいるだろう。
私の心の中にも、小さな鈴があると思う。
その鈴が澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日が送れたらと思う。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う」
(星野富弘)
この世界には、もともと善悪も優越もないのです。
美しいものを美しいと思うことで「醜い」が生じる。
善いものを善いと思い込むことで「善くない」が生じる。
嬉しいも悲しいも、楽しいもつらいも、すべてはあなた自身が作り出しているものなのです。
豊かさについてもそうです。
本当の意味で、豊かな人や貧しい人がいるのではありません。
誰かを豊かだと思うから、誰かが貧しいということになるのです。
この世は、性善説(人間の本性は基本的に善であるという概念)だけで成り立っている世界ではありません。
でも、それは私にとって、どれほど優しいことだっただろうと思う時があります。
初めから正しい者も、完全に善を行う者も、一人もいないと気づかされた時に、逆に私は心おきなく、自分の弱さや他人の弱点を見つめることができるようになるから。
そして、私はもう許されないだろうとか、あの人は許せない人間だとか思わなくてすむようになるから。
人間ひとり一人に与えられた使命や、背負って生まれてくるものも、簡単に成就するとは言えません。
ほんとうは強い人も弱い人もなく、人間は誰もがほとんどが似たり寄ったりなのです。
でも、そのことを知りながら、その小さな壁に悩むのが人間なのです。
相手とほんの少し考えが違うことを、私たちは怒ったり、非難したりするのです。
誰かのことが完璧な人間に見えているのなら、それは相手のある一面しか見えていなかったということ。
同じ人間だから不完全なのは当たり前なのに、相手に接する時間が短ければ、その人が完璧にみえてしまうのかもしれません。
でも、私がやっていることを誰もがする、人間が考えることはだいたい同じだと分かれば、楽になります。
悪い点や欠点のない人間はいないとわかれば、自分は自分でいいのだと思えてきます。
人と比較するのではなく、自分は自分で生きていく、ということ。
過去を悔やむより、未来を案じるより大切なこと、
自分を探そうとすることは、自分の視点を変えていくことなのでしょう。
「私の後ろに存在することや、前に存在することは、小さい事柄である。
私自身の内部にあることに比べれば」
(ラルフ・ワルド・エマーソン)
この記事へのコメントはありません。