心が向く方向
私のヒーリング・除霊のセッションのなかで「スピリチュアルヒーラー体験」というメニューがあります。
これは、一時的にあなたも、私と同じヒーラーとなって、不思議なことをしていただくセッションなのですが、この時、大事なことは心のなかで、その光景を先に描くこと。
私たちは、現実として出来事が先に起こって、心がそれに反応していると思っていますが、実はいつも心が先で、現実がついてくるものなのです。
だから、心を先に動かしていくことで、現実がその光景を現実としていく働きが起こるのです。

「言い表せないものはもちろん存在する。
それは、それ自身が自らを示すのだ。
それは、神秘である」
(ヴィトゲンシュタイン)
という言葉があります。
この「神秘」とは宗教的なものだけでなく、私たちの生命や心を示しています。
だからこそ、私たちは悩んだり、まだ目の前にない事柄に喜びを覚えたり、まだ起きていないことにワクワクと胸をはずませたり、すでにないことに悔い、今に迷い、楽しむことができるのです。
今、あなたのなかにある向上心とは、自分の限界を知ろうとする衝動だから、次第に明るくなるような道を選んでいくこと、その想いを実践する覚悟を持つこと。
人は、いつでも今からでも変わることができます。
あなたがそうなりたいと望んで、心からそうなりたいと思うのならば。

人間の心の奥深くには、仏教でいう「阿頼耶(あらや)」という、はかりしれない力が蓄えられている蔵があります。
そこに、この現実世界を作り出す元がおさめられているのです。
これをおさめれば無となり、これを広げれば世界は満ちるといわれています。
人間は、この世界のものに限界を見た時に、見えない世界や、心は無限であることを悟ります。
今、あなたの心に満ちているものは、あなたの行動、あなたの人生に影響を与えているはず。
ふり返れば、どんなに充実した時代だったとしても、それでもきっとやり残したことがあるはず。
そのような想いは、あなたの行動と情熱をもって現実となるのです。
この世で最もはかりしれない可能性に満ちている。
だから、人間は貴い存在なのです。

「自らの心のありさまと、言葉を一致させることが「信」である。
自らの進むべき道を進むと、おのずから為すべきことがわかる。
それが「義」である。
「信」がそのまま「義」となっている人の言葉は、必ず実現する」(孔子)
という言葉があります。
わたしたちは、多くの願いごとや計画が、どうしても実現したいことであればあるほど、絶対にそれは起こらなければならないと、思い込むものです。
成し遂げたいことがあって、それを実現するために努力している時、自分のしていることがすべて正しくて、目的を実現するためには、どのようなことでもやらなければならないと思うこともあるはず。
でも、実際には、やるべきことと、やるべきではないことがあるのです。
本当は悪いと知りながらも、自己正当化して、やってしまったことがあると、それは結果的に自己嫌悪などの悪影響となります。
自分のしたことが、心の状態に悪影響を及ぼすことになるのなら、それはやらないほうがいい。
何をするかよりも、どのような心で生きるかのほうが大切なことだからです。
儲けるためなら、多少のことはどんなことをやってもいいということではないのです。
富に過剰な信頼を置かないこと。
成功をおさめることに一生懸命になるより、なすべき正しいことと、そうでないこととをわきまえること。
そのための知恵を磨くことのほうがはるかに大切なことなのです。

「遊行上人」と呼ばれ、自らの一生を、念仏を通した人々とのふれあいで過ごした一遍上人のように、私もヒーリングをとおして、これからもいろんな人に出逢っていきたい。
初志貫徹とは、ただ行為を継続することだけでなく、内にある曇りのない初期衝動を心に持ち続けること、そして燃やし続けること。
懸命に生きれば、必ず何かを残せると、私は信じています。
今やるべきことをひたむきに行い、ただひたすらに、目立ちもせず、一途に専念してそれを継続できる人こそ、本当の「徳」を備えた人なのです。
「今、この瞬間を幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、
他には何もいらないのです」
(マザー・テレサ)
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