私が「子育て」から学んだ、人生の意味
先日、家族で北九州へ出かけました。
北九州のお友達たちにも再会できて、楽しい時間をすごすことができました。
本当にありがとうございました。
すべてが楽しい旅でしたが、一番楽しかったのは、門司の海岸で、10歳の長男と遊べたこと。
私が小学生の頃、父親と興じた「小魚すくい」を、私が父親になって、同じことをできたことがとても嬉しかったです。

「子供を育てる」ということについて、いろんな考え方がありますが、私が思う、親として大切なことは、「自分のもの」という思いを捨てること。
財産も子供も、自分の身体も、天から一時的に預かっているものだからです。
人間は、生まれたときはゼロからスタートします。
つまり、その瞬間は、自分と他人という区別がついてなく、目に見える世界は一つです。
それが、ある時、自分がいて他人がいることを認識します。
最初に気がつく他人は、親です。
そこから、どんどん世界が広がっていくのです。
数十年前に子供を経験した私たちから見て、子供を育てるために必要なものは、「管理」ではなく、「支える」こと。
子供が一人で歩いていけるようになるまで、見えないように支えてあげるのが親の役目です。
大切なことは、「将来、なってほしい大人」を今、親の自分が子供に見せてあげること。
親子は、きっと、同じ目の高さの関係で互いに学んでいくものですから。

「人生、万事、小児の戯れ」(福沢諭吉)という言葉のとおり、子供は思惑や期待を持たず、何かを創り出しても、それで自分が何かを得ようとはしません。
それは、出会うもの一つ一つが、子供にとって、新しい「始まり」となるからです。
でも、気負うことなく、力もこめていない。
誰かにしてもらうのでもなく、いつも、すべてを動かすのは自分。
あらゆるものを材料にして、すべてをあるがままに肯定していく。
そして、自分の手で創造したものをすべて肯定する。
子供にとって、何かを新しく始める、生み出すことも「遊び」なのです。

「自分」というものは常に変わっていきます。
だから、ものごとに対するとらえ方が、子供の時と今では変わっていることがあります。
でも、出発点に戻ることで、なにか新しいことを始める力を与えられることもあります。
「この世にまだ存在していないもの」を自ら生み出して、自ら肯定できるのが、子供です。
「この世にすでに存在しているもの」ばかりに目を向けて、現状の延長を求めるのが、「子供が大人になる」ということなら、私は、自信を持って「自分は大人だ」と言えません。
心のなかにある子供らしさを大切にすること。
大人として生きて、満たされない何かを感じているのなら、その子供らしさが、これからの人生をきっと豊かにしてくれる。
自分の魂が望むものを恐れてはならない。
でも、内からの衝動に振り回されてはならない。
それはもう過去のこと、とか、こんなに時間をかけてしまった、とか、こんな歳なのに、という考え方を捨てて、自分が今したいことにひたすら集中する。
時間という概念を捨てて、今、したいことに集中する。
そして、状況に応じて自分を新しくしていく。
正しかったり誤っていたりするのは、人間が言うことです。
そのような生き方が、必ずあなたの人生に深い意味をもたらしてくれる。
大切なことは、自分自身の行いを通して自ら学ぶこと。
後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進むこと。
「愛は家庭に住まうものなんですよ。
子どもを愛し、家庭を愛していれば、
何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ」
(マザー・テレサ)
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