「ワンネス」という世界観
先日、とてもお久しぶりな方が遊びに来てくれました。
1年ぶりにお会いしましたが、変わらず、穏やかで、ほがらかな方でした。
また、お話しできる日を楽しみにしています。
「すべての真の生とは出会いである」(ブーバー)という言葉があります。
人生は、すべてが出会いであって、出会いを通して人生はどんどん変化していくもの。
人間は、誰とつき合うかを自分で選べるので、「会って別れて」をくり返すのが、人の一生なのかもしれません。
そのなかで、心のやすらぎや幸福をわかち合うとき、「共有」というものが、人間の本当の楽しみの一つだと感じます。
元気かな、何してるかなと気になる人がいて、自分のことも理解してくれる人がいることを幸せに思います。
自分は誰からも理解されていない。
誰とも本当につながっていない。
そう思うなら、自分が幸福かどうかといったことや、自分の評価や評判について考える前に意識することがあります。
それは、周りの人のことについて関心をもつこと。
いつも会う人たちをよく理解しようと努めること。
違いよりも共通点に目を向けること。
みんなそれぞれに違いはありますが、みんなそれぞれに共通して持っているもののほうが、ずっと多くて、ずっと重要なことなのです。
人間は、自分のことばかり考えていると孤独になります。
落ち込んでいると、自分もことだけしか考えられなくなる。
自分のことしか考えられないから落ち込むのか、それとも落ち込むから自分のことしか考えられないのか。
つまり、他の人の命にかかわらなくなると、孤独になるということです。
だから、自分の落ち込みから脱出するためには、他の人の命のために生きればいいのです。
塞ぎ込みそうになる心を、折れそうになる心を、人のために何かをすることでつなぎとめることができるはずです。
大きなことはできなくても、「ありがとう」と「ごめんなさい」の、輪を創っていく言葉をいつも言えるように、言われるように。
自分のためではない、人を選ばない思いやりをいつも持てるように。
見返りを期待しない親切とは、してあげるばかりの人生のことではないのです。
いつか、あなたも同じだけ、してもらえる順番がまわって来るのです。
私の人生、私の楽しみを主張することは大切ですが、逆に、受け入れることから見えてくる世界があります。
それは、「自分だけができる」のではなく、
「自分にできたことは、ほかの人にもできる」という世界。
平等ではないけれど、
「私ができることはあなたにもできて、あなたができることは私もできる」
という不安のない、愛されていることを知った世界で生きること。
それが「ワンネス」というとらえ方であっても、素敵ですよね。
「一人ひとりが異なる賜物を持ち、
それぞれの人生を歩んでいることを
受け入れてください。
他者がその人にとっての道を
見いだすことを認めつつ、
自分にとっての幸福の道を見いだしてください」
(使徒的勧告)
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