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抱き合う恋人

先日、お友達のヒーラーさんが遊びに来てくれました。

とても愛にあふれている方で、人を輝かせるライトワークをされている素敵な方です。

お話をしていて、僕もとても豊かな気持ちになりました。

来ていただいて、ありがとうございました。
また、遊びに来てくださいね。

「愛」という字は、後ろを顧みて立つ人の形と心の会意字であって、「後ろに心を残しながら、立ち去ろうとする人の姿を写したもの」という解釈があります。

愛するということ、愛されるということ。
それは、私たちの身近にある愛に気づくということ。

家族や大切な人、いろんな方への、見返りを求めない「無条件の愛」というものは、実践することは難しいことかもしれませんが、それは憐みや自己犠牲ではありません。

愛していることを忘れないこと。
愛されていることを忘れないこと。
誰かに必要とされていることを忘れないこと。

ただ、それを気づかせてあげること。

「愛するとは、けっしてたがいに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見ることだ」(サン=テグジュペリ「人間の大地」)という言葉があります。

人が人を愛するということは、ただ身体を寄せ合っているということではなく、身体は離れていても、いつも繋がれていて、同じ目的地を見ているということです。

見ず知らずの男性と女性が出逢って、夫婦になって心を一つにして、子供たちのための父親と母親になることができるのは、男性の中にも女性性があって、女性の中にも男性性があるように、違いがありながらも調和が生まれているからなのです。

純粋な気持ちで動いて、純粋な愛を表に出して、ただ、目の前の方がどのような方なのか、その人のことを知ることが、愛することに繋がっていく。

愛とは、感情を押しつける一方通行のものではなく、双方向のものです。

愛することで、あなたの閉ざしてしまった心を開かせて、
愛されることで、私の冷めてしまった心をあたためられる。

だから、愛する人と愛される人の関係は、いつも平等な五分五分の関係です。

もし、愛に法則があるとすれば、ギブ&テイクではなく、時にギブ&ギブであったり、テイク&テイクだったりするのです。

現実離れした理想論にも思えますが、愛というのは、奇跡的で、人間関係における究極の形なのかもしれません。

そして、この世のどんな法則でも測れないものなのです。

愛そうと思わなくていいのです。
愛そうとする努力も必要ありません。
愛そうと思っているうちは、まだ愛してはいないから。

在るがままの言動が「無条件の愛」なのです。

この文章を読んでくださった皆さんが、明日、素敵なバレンタインデーをすごされますように。

「真の愛は、愛すると同時に愛されることです。
 愛を受け取ることは、
 愛を与えることより難しいものです」
 (教皇フランシスコ)

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