ジャッジをしない見方
それは、どちらであってもいいというニュートラルな見方
先日、北九州市のヒーリングイベントでヒーリングをさせていただいた方と、「ジャッジをしないこと」についてお話をさせていただきました。
私たちが感じる悩みには、いろんな状況や立場で感じるものがあります。
たとえば、
自分の能力を誰にも評価されないこと。
真面目に取り組んでいる自分よりも、要領よく成果を上げている人がいること。
友達が充実した生活を送っていること。
について悩んでいるのなら、その根本的なとこにあるのは「他者と自分を比べてしまっていること」なんだろうと思うんです。
「他者」と「自分」という関係に悩む時に、いちばん有効な方法は「ジャッジをしないこと」
それは、何が正しくて何が悪いのかを決めないということ。
私たちは、普段の生活の中のいろんな場面で、このジャッジの目線を無意識に使っています。
優越をつけたり、勝ち負けを意識したり、上に見たり下に見たり。
たとえば、お金がある人、友人が多い人、お話が上手な人、お仕事が評価されている人など、いろんなことでジャッジをすることにあふれています。
この世界は、一つのものごとに二つの見方ができる「二極の世界」ですから、そこに目が向いてしまうのは当然のことかもしれません。
でも、その見方があなたの内にストレスを生み出しているのなら、ジャッジをしないという選択もいいと思うんです。
(ジャッジをしないということについて、以前にもこちらの「ジャッジはいらない」のなかでお話しをさせていただきましたね)
「碌々として玉のごとく、珞々として石のごときを欲せず」
(老子)
という言葉があります。
「ダイヤモンドのような存在になったら、それもいい。
石ころのような存在になったら、それもまたいい。
それが自然の姿なら、受け入れてただ生きていく」
という意味の言葉です。
何かを目指そうとする時や、強い正義感を持つ時に、自分の「良し」と思っているものと反対のものを「良くない」と見てしまうことがあるかもしれません。
でも、どんな時でも、どちらであってもいいというニュートラルな見方で接していきたいですね。
そのことを、老子さんは「無為」という言葉で表されていますが、どのような存在も、自然のままでいれば、そのままでいいんです。
あなたも含めたすべてのものが、そのままで他にはないオリジナルな価値があることに気づいてほしいと思います。
そうすれば、あなたの心にもきっと「ゆるさ」と「自由気ままさ」が生まれて、もっと生きやすくなるはずですから。
「人と比べない。人と比べない。
あなたはあなた。自分は自分。
人と比べない。人と比べない。
あなたが霞むから」
(濱田マサル)
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