出来事をどう見るか
起きてくる出来事はすべて、気づきを与えてくれるもの
先日、「うつ・こころの病、不登校の方へのヒーリング」のセッションを受けにきてくださった方と、「出来事のとらえ方」についてお話しをさせていただきました。
人生で出会う出来事をととらえる時、私たちは自分の中にある信念とか、その出来事で反応した感情によって「こういうものだ」という解釈をします。
たとえば、期待どおりのことが起きれば、満たされている感じや達成感を感じますし、期待はずれのことが起きれば、なにか自分に欠けたところがある感じや罪悪感を感じるようにです。
そう考えると、自分の望まないことが起きるのは避けたいと思うものですが、期待どおりにならない時は、生き方の軌道修正を受け取っている時でもあるのです。
すべてを理解しているようでも、まだまだ目の前のことの真実が見えていないから、いろんな視点で見て感じてみなさいということなのでしょう。
私たちは、自分の思う通りにいかない時、なにか自分が攻撃されているような、罰を受けているような感覚になります。
それは、目の前のこの出来事は、いつかの自分の言動の罰だという罪悪感が心の中にあるからです。
でもすべての経験は、あなたに「気づき」を与えるために起きていますから、罪悪感を手放すことで、生き方を軌道修正されることを感謝して受け取ることもできますし、新しい考え方もできるようになるのです。
その時にはもう、どんなに予想できなかったことに出会ったとしても、「やっぱりそうなるんだな」と解釈することもできるはずです。
私たちは、どのようなことも経験して学ぶこともできますし、経験することを避けることもできます。
自分で選ぶことの出来る自由を持っているのです。
本当は、自分の思い通りにならないことが人生をうまくいかせないのではなくて、それ自体が苦しみでもないと分かる時、
ものごとの本質や、この世界の真実のようなものが見えてくるはずです。
(この世界で本質や真実を見ようとすることについて、以前にもこちらの「この世界を楽しむ」の中でもお話させていただきましたね)
「いつも自分を磨いておけ。
あなたは世界を見るための窓なのだ」
(バーナード・ショー)
という言葉があります。
本質や真実というものは、いつも明らかにされているものですから、誰にでも触れることができるものだから、ただ自分の心を開いておくこと。
私たちは、どんなことにも意味や理由をもたせることができる想像力を持っています。
その想像力を使って、「できない」が「できる」に変わることもあれば、正しいことが悪いことに変わることもあります。
大切なことは、目にするものをありのままに見るということ。
経験自体には、最初はまだ良いとか悪いの意味はなくて、それを解釈するあなたの心が区別をするのです。
だから、あなたに起きてくる経験は、思いこみを外して真実を見せてくれるものでもあるのです。
それは、いつも心を変える機会に出会っているということだから、その時その時に出会うものから気づかされることがたくさんあります。
この世界には、私たちの知らないことがまだまだ限りなくあります。
私たちの学びもまだまだ限りなくあるのです。
「心して見る。
そして、尋ねてみる。
すると、幾とおりもの答えが出てくる。
幾とおりもの、ものの見方があることが
わかってくる」
(松下幸之助)
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